山下ふみこオフィシャルブログ
2019.08.28
香川県・豊島の産廃不法投棄in高松研修NO1
8月22日から2泊3日で第11回・自治体議員政策情報センター・虹とみどりの年に1回開催される研修に県内の議員と一緒に香川県高松へ向かう。昨年の全国大会は沼津で、静岡県内の議員や仲間に助けられ無事に終わり、それから1年後の大会であり、私にとっては感慨深いものがある。
今回、特に印象に残ったのは、瀬戸内海に浮かぶ豊島(てしま)産業廃棄物不法投棄事件の現場を訪れたことである。
高松港から船便30分、美しいこの島に、産廃の業者と県に対して壮絶な住民運動が20年以上にわたって展開された。
1970年代後半から80年代にかけ、悪質な業者と無策な行政によって引き起こされた産廃不法投棄事件。
1600人ほど(当時)の島民が立ち上がり、様々な住民運動を展開した。最終的に香川県に責任を認めさせ、91万トンにも及ぶ廃棄物の撤去を勝ち取った。2003年から撤去が始まり、2019年に770億円かけて撤去は完了したが、まだ完全な処理には至っていない。
⇩写真は現在の産廃撤去が終わった現場。当時はあの山の高さ(15m)まで産廃のゴミが積み上げられていたという)
1978年、住民は業者に産廃処理の許可を与えることに反対であった。経営者が、金もうけのためなら何をしでかすかわからない人間だと再三陳情したにも関わらず、香川県は業者に許可をだした。
当時の知事は『住民の反対は事業者いじめであり、住民エゴである。豊島の海は青く空気はきれいだが、住民の心は灰色だ』と言い放った。
当時の香川県は考えられないほど公権力の横暴としか言いようがない。
業者は『ミミズの養殖』のため、食品汚泥など無害物を持ち込むという約束であった。しかし実際には、車の破砕くずや廃油など、大量に不法投棄し、野焼きをした。集落には、煙や異臭が漂い、咳が止まらなくなる住民もいたという。
しかし、業者の不法投棄を香川県は黙認した。
住民は、県に指導するよう再三求めたが、無視され続けた。住民が担当課に行って、庁舎の窓から見えるあの煙が見えないのかと迫ると、横を向いて、『見えません』と言い切った。さらに県は、業者が持ち込んでいるのは廃棄物ではなく、『金属回収の原材料』と詭弁(きべん)を言い出す始末。
⇩下の写真は豊島の産廃ツアーに参加した議員(前列右から3人目が、当事者でありガイドをしてくださった石井さん)
なぜ県は実態を把握しながら、黙認したのか?許可を出した行政が最初の違法な不法投棄を見て見ぬ振りをしたことが、豊島住民に過酷な闘争に陥らせ、20年以上にわたって公害調停と住民闘争が続けられた。
県の職員は『経営者の暴力を恐れた』という。強いものに巻かれて怖くて指導ができなかったというのだろうか。無責任、事なかれ主義という行政の体質が、豊島住民はもちろんだが、県民に大きな負担を強いることに繋がった。しかし、いったい誰がその責任を負ったというのだろうか。
1990年に隣県の兵庫県警の強制捜査で不法投棄は止まった。当事者の香川県は許可を出した以上、不法投棄に見て見ぬ振りを通した。そんなことが許せるのだろうか。
大量の産廃ゴミが残り、住民は県、事業者、国などに撤去を求め、1993年に公害調停を申請。一方で、県は責任を否定し、『安全宣言』を出し、ゴミを放置しようとした。
勝ち目のない闘いだったが、『自分たちの代で美しかったこの豊島をゴミの山のまま子ども達の世代に押し付けるわけにはいかない』「子どもたちに豊かな環境を残してやりたい。第2、第3の豊島事件をおこしてはいけない」ただそれだけのこと。人間本来の、ごく当たり前のささやかな思いである。