山下ふみこオフィシャルブログ

趣味

2019.01.16

書家 阪野 艦

沼津市出身の書家・阪野 艦さんが市長ご挨拶へ。
昨年の平昌五輪記念・韓国主催の「韓中日書芸代表作家展 East Asi Stroke」日本代表の最年少として参加。市長に報告をする。

2019.01.12

山神社の例祭

古来から山の神さんとして親しまれている山神社。日吉廃寺跡地(史跡公園内)の一角にある。
山神社の由緒、創立は不詳だが、天保9年(1838年)に再建されている。日吉にとって、日枝神社は氏神様であり、山の神社は鎮守の神です。
今は昔の面影をわずかに残しているらしいが、昭和3年に山神社拝殿は再建され、さらに半世紀、老朽化のため昭和52年に再建。
そのときに、もともとの祭神・大山祇命と再建するときに、老廃化した三峯社に祀られていた津島牛頭天王と瘡守稲荷の二神を新拝殿に遷座、合祀することになったという。

1月12日(土)山の神様の例祭に、日枝神社の宮司・内海守さまがご祈祷をしてくださる。
町内の祭りが次第に縮小されていく中、脈々続けられている例祭であり、このときばかりは、自治会、女性部、PTA小学校の役員達と一緒に祭りの準備を前日から行う。
当日は町内の子どもや住民のために、お餅つきや豚汁等でもてなす。

2019.01.12

第110回香貫山影奉仕

第110回の香貫山影奉仕の活動は「山の男たちのチームワーク」
今回は我入道に住む真野富三さんの手伝いをすることになった。富三さんは雨が降らない限り毎日、香貫山の道路脇の側溝に溜まった土砂をスコップと鍬で掻き出している。
香貫山に朝登る人で彼のこと知らない人はいないと思う。それぐらい、富三さんは側溝に溜まった土砂の撤去を毎日毎日やっている。それがいつしか、頂上から香陵台公園にまで達するところまで来ていたが、彼の行く手を阻む敵が現れた。イノシシが山側を削って側溝にさらに土砂が積み上がっていたため、影奉仕の仲間たちは、富三さんが掻き出した土砂を公園の駐車場の整備ためにその土砂を使うことにした。

はこの側溝にたまった土砂はおそらく何十年も書き出されたことがないはず。
その土砂は石のように硬く、ちょっとやそっとではスコップぐらいでは歯が立たないぐらい硬い。

それを富三さんは根気よく、掻き出している姿に香貫山に登る人たちは、いつしか、彼が掻き出した土砂を谷川に運ぶようになった。そして今回の影奉仕は、その富三さんの力になろうとみんなで決めた。
↓は香陵台公園の駐車場整備のために、一輪車で土砂を運び、駐車場に窪地があるのでそこの整地をする。

2019.01.05

新年を迎えて

夫婦写真 のコピー 2

昨年は本当に目まぐるしい1年でした。
思いもかけない大沼市長の急逝で市長選に出馬。
そして母親の死。そして娘の第2子誕生でオーストラリアへ。愛犬ノーマンの介護と死。

人生のうちの大きな出来事が一度に押し寄せた年でした。でも、今こうして元気でいることの幸せを実感しています。普通に暮らせることへの感謝です。

引き続き、本年もご交誼のほどお願い申しあげます。

2019.01.01

ノーマンとのお別れ

2007年3月24日生まれ、11才9ヶ月になる我が家のノーマンは2019年1月1日21:31に大きく息をしてそのまま息を引き取りました。とても安らかに眠る様に。昨日まで何とか流動食や馬刺しを口に入れてあげれば、飲み込んでくれていたのですが、今日は朝から起きる気配がなく、ずっと眠ったままでした。
ノーマンが10月ごろから次第に衰え始め、徘徊が始まって、食事が自力でできなくなって注射器で流動食を喉元近くに入れこむ様になりました。深夜もごそごそと家中を歩き始めるとグルグル同じところを何度も歩き周り、まるで人間の認知症状に似た現象から、ここ最近は歩くことも覚束なく自力ではほとんどできない状況でした。日々弱っていく状況ではあっても一進一退の状況は時には希望を持ったりもしたのですが・・・家族に見守られて静かに息を引き取りました。

3才になったノーマンをブリーダーのところから2代目ノーマンとして我が家で飼うことになりました。その当時は絶対目を合わすこともしない、おどおどした頑固な犬でしたが、根気よく付き合っていくうちにとても美しい利口な犬に成長しました。本当に家族の一員として共に生活をしてきました。
ありがとう、ずっと一緒ね!

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