山下ふみこオフィシャルブログ
2015.08.09
かつての高尾山神社と経緯
古墳発掘調査をする前の高尾山神社の様子を紹介したいと思います。
熊野神社(日子火火出見命ヒコホホデミミコト)で階段を上っていくと穂見神社(鵜羽屋不会不命ウバヤフキアエズミコト)があります。どちらも社はこじんまりとしていますが、大神様が祭られていたようです。
皮肉なことに、道路事業のために神社を移転せざる得なく、移転して穂見神社の下に、東国最大最古級のスルガの国の王の墓と判明されたわけです。(以下概略)
2006年(H18):神社立ち退き (第1次試掘調査H17)
2007年 :第2次試掘調査して、古墳時代初期の前方後方墳と判明
2008年~ :2年間かけて本格調査
2010年 :学術的価値の検証
2011年 :辻畑古墳から高尾山古墳へ名称変更。
庁内検討会9/6(1回目)南一色線の線形変更の協議、12/4(2回目)線形の変更案検討
2012年 :3/30に高尾山古墳発掘調査報告書が刊行。シンポジウムや企画展を大々的に開催。
2012年 :11/5日本考古学協会は沼津市に保存要望書を提出
2013年 :庁内検討会6/12・7/3(5回)
2014年 :庁内検討会8/1ここで基本方針決定
(H26) 9/6 県知事視察
12/5 市長へ最終報告
12/16 文化庁へケース9案を持って道路の了解を得る
2015年 :1/13 市長名で県教育委員会に申請書提出
3/31 県教委 条件付きで了承(道路事業)
5/22 日本考古学協会会長声明
5/25 文教消防委員会・建設水道委員会へ報告
当初、この古墳の発掘調査は道路事業を進めるために、記録保存と言うことで発掘調査が念入りに行われたようです。そこで、副葬品も多数出土し、築造年度や埋葬年度が次第に明らかになりました。