山下ふみこオフィシャルブログ

高尾山古墳

2024.08.07

第58回高尾山穂見神社の清掃活動

今日は立秋

「立秋」は暦上の秋の始まり

夏の暑さが極まり、秋に向け季節が移り変わり始める日という意味らしい。つまり暦のうえでは立秋が夏の暑さのピークであるとされ、立秋の翌日からの暑さは「残暑」という。

 暦上では秋の始まりといっても、実際にはまだまだ暑さの厳しい日は続き、どちらかというと夏真っ盛りというイメージがある。 

そのせいなのか、今日は落ち葉が多く、気温が高いせいで枯れ葉になったのか、境内の至る所に落葉がいっぱい。

今日は58回目の清掃。先月、ご近所の方が境内の桜の木についた毛虫の駆除をして下さったのか見当たらなくなっている。ご近所の方も見に来てくださった。

毎月、玉ちゃんが、お掃除の前にお神酒、お米をお供えしてくれている。

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令和6年度

都市計画道路沼津南一色線橋梁架設工事について、古墳を毀損せず、確実性の高い施工を行うため、技術提案の審査及び価格等の交渉による方式(技術提案・交渉方式)での入札執行(令和5年11月30日公告)を行い、優先交渉権者と技術協力業務を契約締結しました。

設計業務の契約金額:6391万円 

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2024.07.24

第57回高尾山穂見神社の清掃活動

第57回高尾山穂見神社の清掃活動は朝7:00から。
「高尾山古墳の大王が怒っていらっしゃるからと5月に水とお酒とおにぎりをあげて謝罪と感謝をして下さい」と山梨の友人に言われてから、仲間が毎回用意してくれている。
今日も熊野神社と高尾山穂見神社にあげて感謝を伝える。
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今日は桜の葉の裏にごちゃっと付いたイラガの幼虫.電気虫とも言って超危険.ご近所の方が、お参りされた時に教えてくれたので早速市役所に連絡。
神社は役所の所管ではないが、夏休みに入ってセミ取りに来た子どもが刺されたら超激痛が走って病院へ直行になってしまうほど危険な幼虫。
そこで何とか出来ないだろうかと相談.自治会に連絡をとって殺虫剤等の協力をして下さるようだ。
という訳で今日は怖くて草取りに集中

2024.06.27

第56回高尾山穂見神社の清掃活動

沼津市にある3世紀中頃に造られた前方後方墳の「高尾山古墳」が、新たに国の史跡に指定されることになった。

24日開かれた文化庁の文化審議会で文部科学大臣に答申。
沼津市東熊堂にある「高尾山古墳」は、3世紀中頃に造られた東日本で最も古い部類とみられる前方後方墳で、全長約62メートルの大規模な古墳。
古墳からは、青銅鏡ややりや矢じりなどの鉄製の武具を中心とした豊富な副葬品と東海地方の西部や北陸などから伝えられた「外来系土器」などが出土していて、当時、広域的な交流のあったことがわかる。
こうした点が、古墳文化の東日本への広がりやヤマト政権成立期における政治的・社会的な情勢を知る上で重要だと評価された。
静岡県内の国指定の史跡は、特別史跡を含めてこれで48件目。

多くの方々のご尽力のおかげですね。杉山さんへご報告に行かなくちゃ!

2024.06.27

第56回高尾山穂見神社の清掃活動

ここにエントリー本文を書きます。

2024.05.15

第55回高尾山穂見神社の清掃活動

第55回目の高尾山穂見神社は特別な清掃活動になりました。

ちょうど1週間前に山梨の友人から久しぶりのメールが来ました。「こんにちは お久しぶりです。 先程高尾山の古墳に行ってきました。 大王が大変怒ってらっしゃいました・・・・かつては立派な古墳があり、大王を中心に民のみなさんがあせ水垂らして、作り上げた古墳でした。 その思いを無にしているということだそうです。穂見神社で 水と酒とおにぎりを持っていって、みなさんに振る舞っていただき、謝罪と感謝をしていただければ・・・」というメッセージを頂きました。

山梨から古墳の事が気になってわざわざ来たようです。

早速仲間と相談をして、友人の言うようにやってみました。お掃除を始めてから4年半。これまで今日のようなことをしたことがなく、穂見神社と、熊野神社に「おにぎり、お米、お酒、お水」をあげ、手を合わせお詣りをしました。暑くなってきたので、雑草は勢いよく伸び、蚊もいる中で、清掃活動し、その後、お供えしたおにぎりを穂見神社に向かいながら頂きました。

此処の道路計画には、道路のど真ん中にこの高尾山があり、古墳があることもわかっていたにも拘らず、この山をすべて削り取り、そこに道路を通すという計画です。

1982年(S57)に高尾山古墳は初めて遺跡とし て登録されましたが、遺物がまったく発見されなかったうえ に、墳丘の一部が崩されてしまっていたため、 その時期や形は不明なままでした。

沼津市のHP
高尾山古墳保存と都市計画道路(沼津南一色線)整備の両立に関する協議会資料がアップされています。
https://www.city.numazu.shizuoka.jp/shisei/takaosan/doc/1-4.pdf

高尾山古墳の歴史的評価 としては、高尾山古墳は卑弥呼の墓と言われている箸墓古墳より少し前に築造され、

古墳時代初期の東日本における最古級かつ最大級の古墳 230年頃築造された高尾山古墳は東日本では最古級の古墳です。

かつては沼津周辺がスルガの国の中心地であり、それは駿河国から伊豆 国が分国された頃(西暦680 年)まで続きました。高尾山古墳は、後に駿河国を形成することになるこの地域の、最初の政治的 統合を示す重要な古墳です。そしてそこに数百年にわたって祀られ、スルガの王の墓を守っていた穂見神社には私たちの知らない神様の存在があるようです。

其処に祀られている穂見神社を移設する工事が始まり、穂見神社を移築したところ、その神社の下から王様の品々が出てきて大きなニュースになりました。

今朝は愛鷹の山の上にポコッと富士山が鮮明に見えています。高尾山の位置は富士山とも大きな関係があるようです。工事はやっと進み始めています。

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