山下ふみこオフィシャルブログ

ボランティア

2024.10.12

第178回香貫山影奉仕の清掃活動

香貫山影奉仕の178回目の清掃活動です。月に1回(第2土曜日)の集まりです。誰にも拘束されず、ただ、この時だけ集まってみんなで清掃するだけのことですが16年以上続いています。何よりも不法投棄がなくなり、ポイ捨ても少なくなりました。昔は布団、ベッド、家電、バイクなど引っ越しの時の大型のものから、日常的な生ごみやタイヤも捨てられていましたから、それを考えると随分成果はあったように思います。

しかし、山は随分荒れてしまっています。大雨のたびに、保水しきれなくなった水は側溝に流れ込むのですが、その側溝も落ち葉や泥でふさがれているので道路が川と化します。根の浅い樹木はなぎ倒され、山肌がむき出しになりあちらこちらで崩落を起こしています。ここ1年で随分変わり果てています。

影奉仕の仲間は、毎日のようにこの山に登って、ゴミを拾ったり、登山道の階段補修をしたり、できることをコツコツやってくれています。しかし、ここ最近の状況は大雨の時の水量もさることながら、山の保水力が以前に比べて低下し、勢いがないのかなぁっと思える。

やはり、既存の樹木を守るための下草狩りだけでは守り切れていかないのかなぁと思う。

嬉しいことが2つ。今日は若いカップルが遊び来ていて、お掃除に参加してくれたこと。そして、市職員が香貫山に登ってくる中で、様子を見に立ち寄ってくれたこと。感謝!

2024.07.13

第175回香貫山影奉仕の清掃活動

第175回香貫山影奉仕の清掃活動
私はお盆でご住職が棚経に来てくださるのを待ってからと思ったのですが、待ちきれず山へ直行!駆けつけた時には、みんな汗だくで、ぶっ倒れてしまわんかと思うほどのむし暑さです。
山の仲間は慣れたもので、刈り払い機は4台で伸び放題の雑草を効率よく刈っていましたし、手際よく雑草も片付けていました。
お疲れ様でした。
終わった後、しばし下界を眺めていたら、マリオネットを最近購入したというMさんに遭遇.お願いをしてマリオネットにちょっとご挨拶してもらう。カワイイ、また来てね
香貫山7
香貫山2
香貫山1
香貫山4
香貫山5
香貫山3
香貫山6

2024.06.08

第174回香貫山影奉仕の清掃活動

香貫山影奉仕の174回目の清掃活動です。
今日は強力な助っ人が4人とも電動草刈り機で伸び放題の香陵公園周辺を、電動機が唸る音が高らかに「ウィ------------ン」と鳴り響いています。いつもは2台が4台もあるとはすごいです。
手作業とは違って、ずいぶんはかどります。ただし、マスクやメガネなどの防備も必要ですし、道路沿いは、登山客の安全を図るために監視係と二人セットで作業をします。

みんな10年以上の方々なので、手際もよく、ついつい夢中になってしまうので須賀、今日は気温も高く蒸し暑いので水分補給は欠かせません。

そして今日はいつも山に登ってきている女性の方が二人と地球をきれいにする会の男性が二人参加してくださいました。

2024.05.15

第55回高尾山穂見神社の清掃活動

第55回目の高尾山穂見神社は特別な清掃活動になりました。

ちょうど1週間前に山梨の友人から久しぶりのメールが来ました。「こんにちは お久しぶりです。 先程高尾山の古墳に行ってきました。 大王が大変怒ってらっしゃいました・・・・かつては立派な古墳があり、大王を中心に民のみなさんがあせ水垂らして、作り上げた古墳でした。 その思いを無にしているということだそうです。穂見神社で 水と酒とおにぎりを持っていって、みなさんに振る舞っていただき、謝罪と感謝をしていただければ・・・」というメッセージを頂きました。

山梨から古墳の事が気になってわざわざ来たようです。

早速仲間と相談をして、友人の言うようにやってみました。お掃除を始めてから4年半。これまで今日のようなことをしたことがなく、穂見神社と、熊野神社に「おにぎり、お米、お酒、お水」をあげ、手を合わせお詣りをしました。暑くなってきたので、雑草は勢いよく伸び、蚊もいる中で、清掃活動し、その後、お供えしたおにぎりを穂見神社に向かいながら頂きました。

此処の道路計画には、道路のど真ん中にこの高尾山があり、古墳があることもわかっていたにも拘らず、この山をすべて削り取り、そこに道路を通すという計画です。

1982年(S57)に高尾山古墳は初めて遺跡とし て登録されましたが、遺物がまったく発見されなかったうえ に、墳丘の一部が崩されてしまっていたため、 その時期や形は不明なままでした。

沼津市のHP
高尾山古墳保存と都市計画道路(沼津南一色線)整備の両立に関する協議会資料がアップされています。
https://www.city.numazu.shizuoka.jp/shisei/takaosan/doc/1-4.pdf

高尾山古墳の歴史的評価 としては、高尾山古墳は卑弥呼の墓と言われている箸墓古墳より少し前に築造され、

古墳時代初期の東日本における最古級かつ最大級の古墳 230年頃築造された高尾山古墳は東日本では最古級の古墳です。

かつては沼津周辺がスルガの国の中心地であり、それは駿河国から伊豆 国が分国された頃(西暦680 年)まで続きました。高尾山古墳は、後に駿河国を形成することになるこの地域の、最初の政治的 統合を示す重要な古墳です。そしてそこに数百年にわたって祀られ、スルガの王の墓を守っていた穂見神社には私たちの知らない神様の存在があるようです。

其処に祀られている穂見神社を移設する工事が始まり、穂見神社を移築したところ、その神社の下から王様の品々が出てきて大きなニュースになりました。

今朝は愛鷹の山の上にポコッと富士山が鮮明に見えています。高尾山の位置は富士山とも大きな関係があるようです。工事はやっと進み始めています。

2024.04.12

第54回高尾山穂見神社の清掃活動

4/10の高尾山神社の清掃活動は、前日の雨と強風で桜が散ってしまって境内は桜の花びらで一面が覆われているかのようです。

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