山下ふみこオフィシャルブログ

2019.09.21

倉敷市の鉄道高架

倉敷市の知り合いから久々にメールがきました。昨年の7/5~7/7にかけ、西日本を中心に記録的な大雨になり、倉敷市では2日間で年間の3割の雨が降り、真備地区では堤防が決壊し、5700棟超の住家が全半壊し、市始まって以来の未曾有の大災害になったことはまだ記憶に新しいことでしょう。その時は、沼津からもNVNが現地へ向かい、その惨状を聞き及んでいましたが、今もなお、その復興に全力を傾けている様子を知り合いのメールで知りました。
メールの最後に、倉敷市で計画されていた鉄道高架事業は、昨年まで大いに盛り上がっていた市優先事業が、今回の大災害で、あっという間にそれどころではなくなってしまったということが書かれていました。
最近の自然災害は、予測のつかない被害をもたらします。真備地区の復興計画を見ると、災害の爪痕の大きさは想像を絶します。
下記の図が倉敷市の鉄道高架事業。沼津市と比較すると、全体の区間延長は長いが、工事費はだいぶ違っています。
倉敷市 総事業費609億円 市負担分127億円 JR負担分43億円
沼津市 総事業費787億円 市負担分172億円 JR負担分 0億円

倉敷201909211
2019.09.19裁決申請朝日・沼朝 (1)

2019.09.19

貨物駅移転用地取得の収用裁決申請へNO1

土地収用は、公共事業の敗北である!!

9/18、県知事と市長はJR沼津駅周辺の鉄道高架事業に伴う原地区の新貨物駅用地、8件の未買収用地にに対して県収用委員会に土地収用手続きの裁決を申請した。決定までは7か月ほどかかり、採決後も明け渡しに応じなかった場合は、強制収容の手続きに移る。↓画像をクリックすると拡大

中日強制収用新聞記事92120190921
中日強制収用新聞記事92120190921_0001
強制収容の手続き2

知事は「任期中は強制収用をしない!」と県議会で答弁している。
これから春までに県収用委員会は審理を行い、対象地の権利取得と明け渡しの採決をする。採決後に明け渡しに応じなかった場合は、強制収容の手続きに移る。
沼津市民の苦難はここから始まる!
どの市町も高齢化が加速し、社会保障費がかさみ、税収の基本となる市税は横ばい。建設事業を拘束せざる得ない時代に入り、大型事業(公共施設例えば、学校、庁舎、公営住宅、体育館、ごみ焼却場、火葬場等)の老朽化やインフラ整備(道路、上下水道の布設管、橋梁)の老朽化等やるべき事業は山積み。でもこの老朽化対策は、1000億円からの規模であるだけに、どの自治体も進めていくには限界があり、計画は出来上がったものの進んでいないのが現実である。

しかし、沼津市は生活優先の施策よりは、まずは高架事業が最優先である。これからどうやって老朽化問題を高架事業と両立ができるのか、残念ながら、工期15~20年と言われている高架事業はさらに延長せざる得ないだろう。
その間に自然災害がこの地を襲った時の対策は万全なんだろうか。
災害の基本は「自らの命を自らが守る」って、こんなことがまかり取っているって変じゃないですか。国や行政ができないことを住民個人に押し付けているだけではないか。
問題山積の中、沼津にとっては時代から大きくずれてしまった事業をこれからやろうとしている。財政はすでに疲弊して、やるべき事業ができないでいるのに。

この間、小学6年生の男の子に言われた。
「僕は車の中で眠っていても、沼津に入ったってことはすぐわかるよ」って言う。「なぜ?」って聞くと、「沼津に入ると、道路がガタガタするからさ」って。
こういう基本的なところがどんどんおろそかになっているってことは子どもでさえわかっているのに・・・

2019.08.29

香川県・豊島の産廃不法投棄in高松研修NO2

森永ヒ素ミルク中毒事件も担当した中坊公平弁護士に弁護を依頼。

中坊弁護士は、『あんたらは何をするんや』と住民に問いかけた。他人任せにするのではなく、自分たちの問題として、何ができるのか。覚悟が問われた。

県はなかなか責任を認めようとしなかった。行政や政治はどうやって責任を取るのか。責任を取る者はいない。だから最後手段として、住民は司法の場に訴えるしかない。しかし、その多くは住民は勝訴したためしはない。そこには莫大な費用が双方に伴う。
結局のところ、行政の費用は県民国民の負担である。
因みに豊島住民の調停費用は1億6千万円かかったという)
しかし、行政は間違えることはないという、『行政の無謬(むびゅう)性』の実態。
つまり責任を負わされるのは県民国民でしかない。

県と闘うのに、豊島住民がしたことは、世論を味方につけることだった。銀座で豊島の廃棄物を展示したり、住民が10班に分かれて10地区以上の集会所等で説明会を開き、その数は100箇所以上にもなった。回を重ねる毎に、住民は勉強を重ね、自分の言葉で豊島の問題を話せるまでになって行った。
さらには県議会に住民の声を直接伝えるため、県議選に石井さんが立候補して、奇跡の当選も果たしていく。


 豊島の住民運動は、『お金ほしさでしょ』と非難されたこともあった。県は住民の運動が怖かった。『あいつらは、違法行為はしないものの、何をしでかすかわからん』と。住民運動への世論の支持の広がりは県にプレッシャーになった。
2000年、調停が成立し、知事が住民の前で謝罪しました
廃棄物は、隣の直島に運ばれ、無害化処理されることになった。

当時の住民運動の歴史を記録したパネル=豊島のこころ資料館


何故、」住民運動が成功したのか。

島民一人一人が当事者として成長し、自分事として取り組んだ結果が成功した。高齢者が多く、『孫のために、一矢報いたい』との思いも強かった。孫の代に『じいちゃん、ばあちゃんたちは、いったい何をしていたんや』と非難されたくなかった。

ただ、平時は必ずしも住民が一つにまとまっていたわけではなかった。廃棄物という外敵が島を攻めてきたから、『みんなで闘おう』となっただけ。現実には、運動の過程で、島民からの誹謗(ひぼう)中傷があり、島民同士の分裂もあり、人間関係に悩み、運動から去っていった人もいる。

 石井さんは、「住民運動をしたい」と言う他県の人たちの相談も受けてきたが、私はいつも『運動は苦しいし、勝てる見込みもないからやめたほうがいい』と言います。私に言われたくらいで、『じゃあ、やめよう』となるくらいの覚悟なら、はじめからしないほうがいいですから」という。
⇩住民運動で使用したのぼり旗(豊島のこころ資料館)

住民運動で使用したのぼり旗=豊島のこころ資料館

豊島の事件の教訓
できるはずがないと誰しも思うことに対して、我を捨てて必死になっている姿に、多くの人が声援を送ってくれた。そのことが、不可能を可能に変えてしまった。

●豊島事件は、日本が循環型社会を目指すきっかけとなり、自動車リサイクル法が成立するなど環境政策の面では教訓は生かされた

●「人々よ、当事者たれ』ということ。行政はシステムでしかない。ミスをしても責任を持たない。一人一人が結果に責任を持ち、立ち上がるしかないということ。

 石井さんは、「便益を受けるものと、リスクを負うものが分離してはいけない。分離すればするほど、加害者は当事者意識を失い、構造的な暴力となって被害者に襲いかかる。豊島に捨てられた廃棄物の中で最も多かったのは自動車の破砕くず。それをつくるのは、自動車企業。そして、自動車に乗っていた人たちは、豊島の住民の苦しみを知らない。
無関心こそ、最大の暴力になりうる。福島原発の事故も同じ構造で、私たち一人一人が原発を黙認した結果だと思う。」

2000年6月3日、25年にわたって争ってきた県と、事実上の合意が成立する。
2017年3月、処理対象廃棄物、汚染土壌91万トン余、総事業費800億円。ゴミは撤去されたが、さらには、地下水浄化作業はまだ途上にある。史上最大の原状回復事業はまだ終わっていない


中防弁護士が口にする「喧嘩の終わり方」
「どんなに勝っても、最後の最後で相手を向こうへ押し倒してはならない。前へ引き倒すのだ。負けても感謝できる終わり方でなければならない。そうしないと、どんな内容の喧嘩であろうとも怨念が残ってしまう」

最後に:
豊島の産廃現場に立って、当事者の石井さんの話を聞いて、公権力と闘うには、なまじの覚悟では闘えない。また、闘うべき相手は自分自身でもある。闘争に25年間、当初の参加した住民549人のうち、既に死亡した方が334人。そしてその処理が今も続いている。現場に立って、初めてその壮絶な住民運動の歴史が理解出来ると思った。しかし、時代とともにその闘い方も変わらざる得ない時代が来ているのかもしれない。

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