山下ふみこオフィシャルブログ

自治体議員政策情報センター

2023.08.21

全国政策研究集会 in 東京

8/18~19日の2日間の研修。
毎年、開催地での夏季研修は全国からの議員との交流も含めて有意義でハードな時間を過ごす。
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今回は退院したその日はオンラインでの研修に切り替え、翌日は9:00からの研修に参加。
虹とみどりの研修は女性議員が大半を占めているのが特徴だが、今回は新人議員が100名から参加しているという。会場はやる気と熱気に包まれクラクラするほどである。
法政大学総長の廣瀬克哉さんの「自治体からの平和の提言」の講演。議会改革の研究者として著名な方ですが、法政大学の総長に選ばれた、選んだ法政大学にとても関心をもたざるえない。こういう総長のいる大学生をとても羨ましく思う。
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研修後、歴史的景観や建造物を壊して超高層ビルを林立させる神宮外苑地区再開発事業の実態を酷暑の中、市民団体の方の説明で現場を歩く。
この一帯の緑豊かな景観に、東京都は再開発事業の認可をしたことによって300本以上の大量の樹木伐採や更なる高層ビルが林立しようとする状況に、景観保存、環境破壊を長年訴えてきている方々の話を聞きながら、胸が痛くなるほどに長年の活動に頭が下がります。

2020.01.20

第15回自治体議員政策研究会・静岡県

全国自治体議員政策研究会の静岡県版の勉強会を県内銀と市民が集まって静岡市役所で行う。
今日のメインテーマは「PFIの諸問題」講師:公益財団法人地方自治総合研究所・菅原敏夫さん

何故地方自治体はPFIをやるのか?(国はPFI(PFI/PPP)事業の推進に乗り出し、総計目標額を定めているので、それを何が何でも達成しなければならない。20万人以上の自治体にはPFI事業を義務付けしようとさえしている雰囲気がある)
日本のPFI法っておかしい?
Q:日本以外のイギリスを始めEUでは、施設整備費の割賦払いを禁止しているが、むしろ日本では、割賦払いによる施設整備を促進している。(割賦払い(ヤミ起債)は自治体の財政を棄損するにも拘らず、なぜ勧めるのだろうか?)
A:地方自治体が自ら銀行に借金するよりも、資金調達コストの高い民間資金を利用して施設を整備するっておかしい。(この批判は当初からある)

PFIの本家イギリスでは、国や自治体が起債(借金)をして、資金を調達し、運営権は民間のスキルを頼りにして安く運営するというのがPFIの王道だという。料金収入がある運営権(2011年PFIに導入)こそが、PFIの真骨頂だと言われてきた。

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PFIに関して今自治体で起こっていること
現在市町村で一番多いPFI案件では「給食センター」。センター建設とそれ以降の施設の維持管理と運営である。
PFI事業は包括的に委託する事業であり、各種事業を複合的にこなせ、資金力、信用力にたけていなければならず、給食センター(SPC)をコントロールし続ける必要があるので、必然的に大企業(地元企業では難しい)に限られてしまう。対象企業が限られ、プロポーザル方式なので、競争性はやや制限される。地元への還元は、、雇用や食材購入などになり、この慣行も競争制限的に働く。このことはVFMを減少させる。
(PFIは建設と運営を包括的に行うので、大手ゼネコンしかできない。特に給食センターなどは(PFI事業の大手:トーヨー食品やシダックス)自分の会社から食品を購入させるので、収益は大きい。PFIで誰がもうかる仕組みになっているのか!

2019.08.28

香川県・豊島の産廃不法投棄in高松研修NO1

8月22日から2泊3日で第11回・自治体議員政策情報センター・虹とみどりの年に1回開催される研修に県内の議員と一緒に香川県高松へ向かう。昨年の全国大会は沼津で、静岡県内の議員や仲間に助けられ無事に終わり、それから1年後の大会であり、私にとっては感慨深いものがある。
今回、特に印象に残ったのは、瀬戸内海に浮かぶ豊島(てしま)産業廃棄物不法投棄事件の現場を訪れたことである。
高松港から船便30分、美しいこの島に、産廃の業者と県に対して壮絶な住民運動が20年以上にわたって展開された。
1970年代後半から80年代にかけ、悪質な業者と無策な行政によって引き起こされた産廃不法投棄事件
1600人ほど(当時)の島民が立ち上がり、様々な住民運動を展開した。最終的に香川県に責任を認めさせ、91万トンにも及ぶ廃棄物の撤去を勝ち取った。2003年から撤去が始まり、2019年に770億円かけて撤去は完了したが、まだ完全な処理には至っていない。

⇩写真は現在の産廃撤去が終わった現場。当時はあの山の高さ(15m)まで産廃のゴミが積み上げられていたという)

1978年、住民は業者に産廃処理の許可を与えることに反対であった。経営者が、金もうけのためなら何をしでかすかわからない人間だと再三陳情したにも関わらず、香川県は業者に許可をだした。

当時の知事は『住民の反対は事業者いじめであり、住民エゴである。豊島の海は青く空気はきれいだが、住民の心は灰色だ』と言い放った。
当時の香川県は考えられないほど公権力の横暴としか言いようがない。
業者は『ミミズの養殖』のため、食品汚泥など無害物を持ち込むという約束であった。しかし実際には、車の破砕くずや廃油など、大量に不法投棄し、野焼きをした。集落には、煙や異臭が漂い、咳が止まらなくなる住民もいたという。
しかし、業者の不法投棄を香川県は黙認した。

住民は、県に指導するよう再三求めたが、無視され続けた。住民が担当課に行って、庁舎の窓から見えるあの煙が見えないのかと迫ると、横を向いて、『見えません』と言い切った。さらに県は、業者が持ち込んでいるのは廃棄物ではなく、『金属回収の原材料』と詭弁(きべん)を言い出す始末。

⇩下の写真は豊島の産廃ツアーに参加した議員(前列右から3人目が、当事者でありガイドをしてくださった石井さん)

なぜ県は実態を把握しながら、黙認したのか?許可を出した行政が最初の違法な不法投棄を見て見ぬ振りをしたことが、豊島住民に過酷な闘争に陥らせ、20年以上にわたって公害調停と住民闘争が続けられた。

県の職員は『経営者の暴力を恐れた』という。強いものに巻かれて怖くて指導ができなかったというのだろうか。無責任、事なかれ主義という行政の体質が、豊島住民はもちろんだが、県民に大きな負担を強いることに繋がった。しかし、いったい誰がその責任を負ったというのだろうか。

1990年に隣県の兵庫県警の強制捜査で不法投棄は止まった。当事者の香川県は許可を出した以上、不法投棄に見て見ぬ振りを通した。そんなことが許せるのだろうか。

大量の産廃ゴミが残り、住民は県、事業者、国などに撤去を求め、1993年に公害調停を申請。一方で、県は責任を否定し、『安全宣言』を出し、ゴミを放置しようとした。
勝ち目のない闘いだったが、『自分たちの代で美しかったこの豊島をゴミの山のまま子ども達の世代に押し付けるわけにはいかない』「子どもたちに豊かな環境を残してやりたい。第2、第3の豊島事件をおこしてはいけない」ただそれだけのこと。人間本来の、ごく当たり前のささやかな思いである。

2017.11.03

自治体議員政策情報センター in 静岡

11/2自治体議員政策情報センター 静岡県内の議員と市民の勉強会があった。
テーマ1:元国立市長の上原公子氏(自治体議員政策情報センター長・脱原発を目指す首長会議事務局長
「自民党憲法改正草案に見る国のかたち」憲法改正・国民投票と自治体議員の役割について
テーマ2:静岡市保健年金管理課長:「国民健康保険制度の広域化について」

上原ひろこ
上原ひろこ2

憲法の描く民主主義とは
上原さんの「日本国憲法」に対する話は明快であり、わかりやすい。自民党が出している「日本国憲法改正草案」これが通ったら本当に大変なことになるという危機感が伝わってくる。
上原さんはマイノリティの立場(社会の権力関係 において、少数派に位置する者)から憲法を見るとよく理解できるという。SEALDsのいう「憲法は未完のプロジェクト」だから、あなたが自ら追求しなさいという。
SEALDs:戦後70年で作り上げられてきた、この国の自由と民主主義の伝統を尊重します。その基盤である日本国憲法の持つ価を守りたいと考えています。この国の平和憲法の理念はいまだに達成されていない未完のプロジェクトです。

民主主義とは:国民の幸福や利益は、労せずして国民に与えられるべきものではなく、国民自らの努力によって築き上げられてゆくものでなければならない。すべての国民は、自らの力によって立ち、自らの手で幸福を追求する権利を有する。民主主義の保障するものは、このような権利であり、このような自由である。ゆえに、民主主義が「国民の福利のための政治」を行うことは、国民の基本的権利を平等に保護し、他人の自由を侵さない限度において各人の人間としての自由を確立することに他ならない。
(此処に示されている民主主義の概念は1948~1953年までの中高生の教科書に掲載(↓下段に示す)

憲法の描く民主主義社会とは:自らの手で自分の権利を追求し獲得するためには不断の努力がなければ獲得することができないということ。そして民主主義はその権利と自由を保障する。
上原さんが言った、マイノリティの立場から憲法を見ると理解ができると言われたが、私のような少数派の議員の立場からみたときによくわかる。少数者の意見を尊重する社会(議会)に未だに日本はなっていない。

第12条には、国民に保障する自由及び権利が定められている。その中に「常に公共の福祉のために利用する責任を負う」つまり、個人を尊重するということは他人の自由を侵さないことでもあり、他人を傷つけていけないということである。第13条はすべての国民は個人として尊重され、幸福の追求権を尊重

しかし、自民党案では、家族を大切にするという家長制度の復活を目指そうとしている。つまり、みんなが家族を単位として、気概をもって国家安泰のために和を尊び、自己を犠牲にし、個人の利益ではなく、国の利益に反してはならないとある。すべての国民は個人ではなく、人という単位として尊重されるとなっている。

個人の権利や自由を尊重するのではなく、常に公益、公の秩序に反してはならないとある。公益とは何か、つまり国の利益ということにならないだろうか。

どうも、自民党の改正案には迂闊には賛成してはいけないように思える。日本国憲法は、個人に保障する自由や権利を、人という単位(国)として尊重されるというように変えられている。

一人じゃできないからみんながスイミーになればいい。一人ひとりはちっちゃいけれど、それが集まれば、大きな力になる。そして生活の中で、自分の権利を主張していくようになればいい。

今まで憲法9条については戦争放棄を明確にした国の交戦権は認めないとされていたものが、自民党案は軍隊をつくる、国防軍を保持するということには反対の表明をしてきたが、それ以上に第97条で保障されていた基本的人権が削除されていることなど、もっと憲法を勉強しなくては何も語れないし、日本国憲法の持つ価値がどれだけのものなのか、自ら学ぶ必要性を改めて感じさせてもらう。
(今日は日本国憲法公布71年目だったなんて・・・)

------------------------------民主主義とは---------------------------------

以下は文部省著作教科書として実際に1953年まで中学生及び高校生の社会科教科書として使われていたもの。日本が終戦後、民主主義をどのように捉えていたかを考えるにはかなり参考になる本であるはず。

はしがき

 今の世の中には、民主主義ということばがはんらんしている。民主主義ということばならば、だれもが知っている。しかし、民主主義のほんとうの意味を知っている人がどれだけあるだろうか。その点になると、はなはだ心もとないといわなければならない。

 では、民主主義とはいったいなんだろう。多くの人々は、民主主義というのは政治のやり方であって、自分たちを代表して政治をする人をみんなで選挙することだと答えるであろう。それも、民主主義の一つの現われであるには相違ない。しかし、民主主義を単なる政治のやり方だと思うのは、まちがいである。民主主義の根本は、もっと深いところにある。それは、みんなの心の中にある。すべての人間を個人として尊厳な価値を持つものとして取り扱おうとする心、それが民主主義の根本精神である。

 人間の尊さを知る人は、自分の信念を曲げたり、ボスの口車に乗せられたりしてはならないと思うであろう。同じ社会に住む人々、隣の国の人々、遠い海のかなたに住んでいる人々、それらの人々がすべて尊い人生の営みを続けていつことを深く感ずる人は、進んでそれらの人々と協力し、世のため人のために働いて、平和な住みよい世界を築き上げて行こうと決意するであろう。そうして、すべての人間が、自分自身の才能や長所や美徳を十分に発揮する平等の機会を持つことによって、みんなの努力でお互の幸福と繁栄とをもたらすようにするのが、政治の最高の目標であることをはっきりと悟るであろう。それが民主主義である。そうして、それ以外に民主主義はない。

 したがって、民主主義は、きわめて幅の広い、奥行きの深いものであり、人生のあらゆる方面で実現されて行かなければならないものである。民主主義は、家庭の中にもあるし、村や町にもある。それは、政治の原理であると同時に、経済の原理であり、教育の原理であり、社会の全般に行きわたって行くべき人間の共同生活の根本のあり方である。それを、あらゆる角度からはっきりと見きわめて、その精神をしっかりと身につけることは、決して容易なわざではない。複雑で多方面な民主主義の世界をあまねく見わたすためには、よい地図がいるし、親切な案内書がいる。そこで、だれもが信頼できるような地図となり、案内書となることを目的として、この本は生まれた。

 これからの日本にとっては、民主主義になりきる以外に、国として立って行く道はない。これからの日本人としては、民主主義をわがものとする以外に、人間として生きて行く道はない。それはポツダム宣言を受諾した時以来の堅い約束である。

 しかし、民主主義は、約束だからというのでしかたなしに歩かせられる道であってはならない。それは、自分から進んでその道を歩こうとする人々に対してのみ開かれた道であり、その人たちの努力次第で、必ず繁栄と建設とに導く道である。われわれ日本国民は、自ら進んで民主主義の道を歩み、戦争で一度は見るかげもなくなった祖国を再建して、われわれ自身の生活に希望と繁栄とを取りもどさなければならない。ことに、日本を再建するというこの仕事は、今日少年少女諸君の双肩にかかっている。その意味で、すべての日本国民が、ことに、すべての少年少女諸君が、この本を読んで、民主主義の理解を深められることを切望する。そうして、納得の行ったところ、自分で実行できるところを、直ちに生活の中に取り入れて行っていただきたい。なぜならば、民主主義は、本で読んでわかっただけでは役に立たないからである。言い換えると、人間の生活の中で実現された民主主義のみが、ほんとうの民主主義なのだからである。(p1-3)

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