山下ふみこオフィシャルブログ

2015.07.01

高尾山古墳の行方 再検討か

6月30日、6月議会の最終日。最終本会議において、今まで審議されてきたことの最終的な採決が行われる。今回の高尾山古墳の発掘調査費をめぐって、6月に入ってから本当に怒涛のような動きであった。
6月に入ってから古墳を守る市民団体が結成され、それから本会議は6/9から始まった。

注目されたのは一般会計補正予算の8款土木費:沼津南一色線道路改良事業費5100万円の行方。
高尾山古墳埋蔵文化財発掘調査のための予算である。しかし、これは4億2616万円の補正予算の中に一括されているため、難しい採決を迫られた。
多くの報道陣が見守る中で、採決の結果は21:6で賛成多数で可決。

その後、市長は記者に囲まれ、高尾山古墳の行方について「ただちに予算を施行しない。保留をする」と答えている。
今後は学識経験者も含めた協議会を立ち上げるということだが、
協議会のメンバーにどういう人材を選ぶのかで全く議論の方向性は変わってくる。
そして何よりも古墳を残す前提での両立であるならば、その大きな要因は財源の問題である。
財源の見通しなくして、この両立は図ることができない。

今後この両立が図られる方向性があるとするならば、財源の見通しと市民の古墳に対する再認識の広がりは欠かせない。
この3週間の議会において、本当に多くの方がこの高尾山古墳存続について動いて下さった。それは怒涛のような動きだったと言っていいのかもしれない。
市民団体の陳情書の提出を受け、議会は現地を訪ね、連合審査で議論をしている。
そして市民団体の設けたネット署名は1日で数千人が集まる日もあったり、県考古学会も会長自らが市長や教育長に保存声明文を届けたり、今も全国的な広がりは続いている。

そういう怒涛の中におかれた高尾山古墳の存続。
邪馬台国の卑弥呼から注目をされていたこの東国最古の王は、1800年の孤独の眠りからやっと目覚めたと思ったら、今度は自分の古墳破壊が持ち上がっているとは。
1800年のこの歴史の中で、この古墳は国民共有の財産といえども、スルガの国発祥の地であり、沼津市民のルーツである。市民が気付いた時にはすでに道路のために消える寸前の運命であった。
でも今は違う。多くの市民がメディアの報道によって気づき始め、その輪が全国に広がっている。

市長のいう「両立再検討」が、本当の意味での公正な議論になりえるのか、そして市民の気づきの輪が広がっていくのか。
沼津市にとっても、そして市民にとっても民度が問われている。