山下ふみこオフィシャルブログ

2021.02.10

第19回高尾山穂見神社の清掃活動

19回目の高尾山穂見神社の清掃活動は先月から8:00に時間を遅らせました。当初は通勤時間帯と重なると渋滞に巻き込まれる懸念があったからですが、8:00に変更しても全く渋滞はなく、三つ目ガードやあまねガードもスムースに車は流れています。地方といえどもコロナ禍でリモートワークが拡大されていることもあるのでしょうか。また、人口減少や高齢化が進んでいることも影響しているでしょうか。

この時期は三寒四温が繰り返されて次第に春に向かっているようです。コロナ禍で日常生活において自粛傾向が続く中で、やはり春の訪れは嬉しいものです。
暖かい陽射しの中で、まずは熊野神社さん、そして穂見神社さんにお参りをしてお掃除をさせてもらいました。

高尾山穂見神社は南アルプス市の高尾山穂見神社から分祀したときいている。
昨年、沼津市と南アルプス市はそれぞれの特産物の販売を行い、地元の方々に大盛況で迎えられている。地産地消の交流販売のご縁は、実は高尾山穂見神社において既に神様の交流は150年以上前から繋がっていたと思うと、南アルプス市とのご縁はまさにこの高尾山神社が結んでくれたと私はひそかに思っている。

高尾山穂見神社は東熊堂(ひがしくまんどう)北方(きたかた)の高尾山古墳(旧名、辻畑古墳)の東に隣接して鎮座する。
 元は、全長約62mの前方後方墳、高尾山古墳の墳頂(標高21m)に鎮座していた。
 弘化3年(1846)10月、山梨県の高尾山穂見神社(南アルプス市高尾の穂見神社)より分祠し東熊堂荒久の地に祀ったという。 その後、明治21年には交通の便の良い、熊野神社境内上の地に移した。 高尾山古墳の後方部高台(墳頂部標高21m)のことと思われる。 社殿は、明治時22年に建立されたといい、現在の社殿は明治30年代に建立したものらしい。
 神紋は「流三巴紋」で、通常とは反対の右巴である。
 沼津市には、このほか興国寺城祉内にもうひとつの穂見神社がある。
[参考:『スルガの王 大いに塚を造る』2012年沼津市教育委員会、沼津市文化財センター]

■穂見神社 (沼津市根古屋、興国寺城祉内北条氏碑横)
 伊勢新九郎盛時(北条早雲)が、今川氏の家督争いでの活躍により与えられた興国寺城本丸の中心にあったと思われる。 ただし、穂見神社は北条早雲の時代にあったわけではなく、安政四年(1857)に施主15人が南アルプス市高尾山穂見神社(注1)から分祠し祀ったのがはじまりという。 「高尾大明神」とも呼ばれた。

 高尾山穂見神社(山梨県南アルプス市高尾498)
 標高850mの櫛形山北東山腹の山間集落である高尾に位置しており、通称を高尾山穂見神社、「高尾さん」、「山の高尾」という。 御崎明神」という別名もある。
 旧郷社、 祭神:保食神(うけもちのかみ)。『甲斐國古社史考』では、白山権現・三体王子(大福王子、大寿命王子、大智穂王子)であったとしている。 神紋は丸に違い鷹の羽。
 創立年代は不詳。 享保十三年(1728)七月に大洪水があり、崩れた土中より文治三年(1187)の古碑が出てきて、そこに「穂見神社」の銘があったという。

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