山下ふみこオフィシャルブログ

2022.01.18

第29回高尾山穂見神社の清掃活動

令和4年になっての初の高尾山穂見神社の清掃活動です。雑草が砂利の間から顔を出し始めています。根が張っていないので、関単に引き抜けます。きっと風の強い日もあったのでしょうが、境内は落ち葉もなくきれいになっています。
穂見神社の西側にある小高い山を見るたびに胸が痛みます。かつては卑弥呼と同じ時代のライバルとも言われていた東の王様の古墳が出土し、高尾山古墳として騒がれたが、工事は2015年以降遅々として進んでいない。日本最古といわれる東の王様の古墳は次第に風化してきている。見るも哀れな姿のまま置き去りにされているとしか思えない。古墳もビニールシートがかぶさったままで所々劣化してきている。お掃除をするたびにこの風化していく姿に大塚さんはきっと悲しんでいるんだろうと思いつつ、私たちにできることってこんなことしかないと思い続けている。

かつての高尾山神社は鎮守の森の中にあった。今はその存在自体知る人もいなくなってきている。

2015年の夏ごろ、私たちはこの高尾山古墳にまつわる壮大な歴史に胸をワクワクさせながら、この古墳が残るための活動を市民と一緒にやってきた経緯がある。

赤塚次郎先生の講演の概要(2015年8月)

私たちの祖先、ルーツでもある高尾山古墳の王とはどんな人だったのか。
スルガの国の王の墓と言われている東日本最大最古級の高尾山古墳の謎は、考古学的見地からは築造年代等は解明されたとはいえ、愛鷹山麓に広がる古代スルガの地に、新しいリーダーの登場には、いったいどんなストーリーが秘められているのか。その王が何を考え、何をこの地で成し得たのか、浮島沼と言う低地・沼の環境に住む民と標高100mの山麓(足高尾上遺跡群)に住む民、そして高尾山古墳が築造された木瀬川・狩野川低地部に住む人々と海の民。弥生後期社会から継続する海辺・低地部に集住する浜の民と標高100mに住む山の民、この二つの大きな部族集団が、何らかの理由で「駿河」の地に集まり、高尾山の王を支えていた

まさに彼らは、高尾山の王に憧れて集まってきたかもしれない。この地に育つ優れた素材がここに集まってくる。海を越え、山を越えて異国のものが往来する場面が出来上がったのだと。多くの技術集団が集まり、広域ネットワークを展開していったのではないか。

同時に大規模な古墳造営と言うイベントが民や富の動員を可能にしていった。やがて、その領域が「スルガ」と呼ばれることになっていく。

スルガという國の歴史は、まさに高尾山古墳の築造を契機として、その機運の中から創出され、伊豆半島から愛鷹山麓を抱え込むこの場面から出発したといえるだろう。だからこそ、この王墓を なくすことは、スルガの国のはじまりをなくすことにもつながる。