山下ふみこオフィシャルブログ
2024.05.15
第55回高尾山穂見神社の清掃活動
第55回目の高尾山穂見神社は特別な清掃活動になりました。
ちょうど1週間前に山梨の友人から久しぶりのメールが来ました。「こんにちは お久しぶりです。 先程高尾山の古墳に行ってきました。 大王が大変怒ってらっしゃいました・・・・かつては立派な古墳があり、大王を中心に民のみなさんがあせ水垂らして、作り上げた古墳でした。 その思いを無にしているということだそうです。穂見神社で 水と酒とおにぎりを持っていって、みなさんに振る舞っていただき、謝罪と感謝をしていただければ・・・」というメッセージを頂きました。
早速仲間と相談をして、友人の言うようにやってみました。お掃除を始めてから4年半。これまで今日のようなことをしたことがなく、穂見神社と、熊野神社に「おにぎり、お米、お酒、お水」をあげ、手を合わせお詣りをしました。暑くなってきたので、雑草は勢いよく伸び、蚊もいる中で、清掃活動し、その後、お供えしたおにぎりを穂見神社に向かいながら頂きました。
此処の道路計画には、道路のど真ん中にこの高尾山があり、古墳があることもわかっていたにも拘らず、この山をすべて削り取り、そこに道路を通すという計画です。
1982年(S57)に高尾山古墳は初めて遺跡とし て登録されましたが、遺物がまったく発見されなかったうえ に、墳丘の一部が崩されてしまっていたため、 その時期や形は不明なままでした。
■沼津市のHP
高尾山古墳保存と都市計画道路(沼津南一色線)整備の両立に関する協議会資料がアップされています。
高尾山古墳の歴史的評価 としては、高尾山古墳は卑弥呼の墓と言われている箸墓古墳より少し前に築造され、
古墳時代初期の東日本における最古級かつ最大級の古墳 230年頃築造された高尾山古墳は東日本では最古級の古墳です。
かつては沼津周辺がスルガの国の中心地であり、それは駿河国から伊豆 国が分国された頃(西暦680 年)まで続きました。高尾山古墳は、後に駿河国を形成することになるこの地域の、最初の政治的 統合を示す重要な古墳です。そしてそこに数百年にわたって祀られ、スルガの王の墓を守っていた穂見神社には私たちの知らない神様の存在があるようです。
其処に祀られている穂見神社を移設する工事が始まり、穂見神社を移築したところ、その神社の下から王様の品々が出てきて大きなニュースになりました。
今朝は愛鷹の山の上にポコッと富士山が鮮明に見えています。高尾山の位置は富士山とも大きな関係があるようです。工事はやっと進み始めています。