山下ふみこオフィシャルブログ

2025.01.05

地域の歴史シリーズ5「大岡」in 明治史料館

明治史料館で「地域の歴史シリーズ5・大岡」展が2/24まで開催。

私の生まれた大岡について興味があり、私のルーツは何処にあるんだろうかという思いもずっとある中、今回の「大岡展」はとても興味深いものがある。
既に明治史料館では地域の歴史シリーズ2「かなおか」、シリーズ3「うきしま」、シリーズ4「おおひら」と令和3年から毎年開催。学芸員が地域を歩いて写真を撮ったり、地域の方の協力を得て資料収集、また倉庫に保存してある何万点もある資料から選び出すなど、膨大な資料から探し出していく。これらの作業は学芸員の仕事らしいが、展示開催は大変な作業だと想像する。

大岡の由来:明治7年(1874)に大岡村が誕生し2024年で150周年、昭和19年(1944)に大岡村が合併して沼津市になって80周年になる。明治22年(1899)の町村制施行よりもいち早く複数の村で合併して「大岡村」となり、先進的な気風のある地区のようです。その歴史は古代の「大岡荘」に由来し、鎌倉時代には源頼朝との縁もあったようです。

←この大岡村の鳥瞰図は大岡小学校の校長室に今も飾られているそうです。大岡村だけの鳥瞰全図はとても珍しいそうです。
大正14年に「秀俊」と言う方が書いたようですが、この方が誰なのか分からないそうです。
かつて大岡は岡一色や岡宮も入っていたのですが、門池の地名はないですね。

↓日吉廃寺の発掘。かつて御殿場線が旧東海道であり、大正6年丹那トンネル開設に伴う東海道熱海線の敷設により発掘されたもの。この調査により奈良時代前期の寺院であるとされ、古代初頭、スルガ国の中心地が沼津市域にあったことを示す重要な遺跡だそうです。

↑大仏様の頭部にあるぶつぶつは螺髪(らほつ)と言い、その螺髪が見つかり、この大きさから言うととても大きな大仏様のようです。このように日吉廃寺はとても大きな寺のようだが、この寺は日吉で発掘された町名であって、この寺の名前は分かっていない。この日吉廃寺の横に山神社が祀られ、毎年1月に日吉町内では、山神社の祭祀を執り行う。
螺髪は、お釈迦様が人間を超えた存在であることを示す一つの特徴。

↓は昭和15年ごろの東京麻糸沼津工場。(今の西友)かつてはお蚕さんを飼っていて、ここで絹糸も生産していたのだと思う。お蚕のエサは桑の葉だが、確か桑の木もあったと記憶している。それにしても膨大な敷地の工場であったのかと思うと当時の賑わいを想像し灌漑深いものがある。

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