山下ふみこオフィシャルブログ
2015.08.15
第69回香貫山影奉仕活動
昨夜の恵みの雨のせいか、今日は蒸し暑く湿度がさらに高く、水分補給を常にしながらの清掃活動です。今日はひとり親会のお母さんと子どもたち、そして高校生のボランティア参加でした。暑い中、お疲れさまでしたぁ~


山道の草刈は、丁度日陰になり、作業はしやすいです。

子どもたちの活躍はすごい!竹箒や熊手も上手に使います。

私はこの後、終戦記念日のため、沼津市戦没者戦災死者慰霊法要が文化センターであるのでそちらへ向かう。

高校生のボランティア活動、いつでもウェルカムです。
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草刈機を使う人はちゃんと講習会に参加してその技術を習得しています。本当に皆さん前向きです。
2015.08.09
かつての高尾山神社と経緯
古墳発掘調査をする前の高尾山神社の様子を紹介したいと思います。
熊野神社(日子火火出見命ヒコホホデミミコト)で階段を上っていくと穂見神社(鵜羽屋不会不命ウバヤフキアエズミコト)があります。どちらも社はこじんまりとしていますが、大神様が祭られていたようです。
皮肉なことに、道路事業のために神社を移転せざる得なく、移転して穂見神社の下に、東国最大最古級のスルガの国の王の墓と判明されたわけです。(以下概略)
2006年(H18):神社立ち退き (第1次試掘調査H17)
2007年 :第2次試掘調査して、古墳時代初期の前方後方墳と判明
2008年~ :2年間かけて本格調査
2010年 :学術的価値の検証
2011年 :辻畑古墳から高尾山古墳へ名称変更。
庁内検討会9/6(1回目)南一色線の線形変更の協議、12/4(2回目)線形の変更案検討
2012年 :3/30に高尾山古墳発掘調査報告書が刊行。シンポジウムや企画展を大々的に開催。
2012年 :11/5日本考古学協会は沼津市に保存要望書を提出
2013年 :庁内検討会6/12・7/3(5回)
2014年 :庁内検討会8/1ここで基本方針決定
(H26) 9/6 県知事視察
12/5 市長へ最終報告
12/16 文化庁へケース9案を持って道路の了解を得る
2015年 :1/13 市長名で県教育委員会に申請書提出
3/31 県教委 条件付きで了承(道路事業)
5/22 日本考古学協会会長声明
5/25 文教消防委員会・建設水道委員会へ報告
当初、この古墳の発掘調査は道路事業を進めるために、記録保存と言うことで発掘調査が念入りに行われたようです。そこで、副葬品も多数出土し、築造年度や埋葬年度が次第に明らかになりました。
2015.08.07
高尾山古墳の現状保存と道路の両立へ!
撤去方針を沼津市長が撤回
毎日新聞 8月6日(木)20時5分配信
道路建設で取り壊される予定だった静岡県沼津市の高尾山古墳について、同市の栗原裕康市長は6日の記者会見で「方針を白紙撤回する」と表明した。高尾山古墳は3世紀前半に築造された東日本最古で最大級の前方後方墳(全長約62メートル)。
市は今後、古墳の現状保存と道路建設の両立を目指す。
市は5月に取り壊し方針を表明し、今年度補正予算に関連事業費5100万円を計上した。日本考古学協会は保存を求める会長声明を出し、市内では保存を求める3団体が設立された。
栗原市長は方針転換の理由について「報道と会長声明をきっかけに、全国から想定をはるかに上回る意見を頂いた。反省したい」と述べた。現状保存と道路建設を両立する具体策は、有識者でつくる協議会を9月に設置し、検討する。
日本考古学協会の篠原和大理事は「邪馬台国の時代の古墳。将来にわたり、歴史を正しく理解する上で現状保存は欠かせない。歓迎したい」と評価した。【石川宏】
今回、市長が急遽記者会見を開いて、古墳と道路の両立、しかも、古墳の現状保存と言うではないか。
この急転した事態に、いったい何が起きたのか?
まさに市長の英断であるが、そこに至った理由は何だったのか?
協議会のメンバーも決まり、今後は高尾山古墳を守る市民の3団体は、署名活動の継続と協議会への傍聴に市民参加を呼び掛けていくことになるだろう。
(左の写真はかつての高尾山神社があった杜)
8/4、市民の3団体は市長への要望書を提出した。そこには1~4の要望が示されているが、今回の状況は、市民団体が出した要望の1の条件が受け入れられたといえるだろう。
(下記要望書クリック→拡大)