山下ふみこオフィシャルブログ

2015.09.01

ストップ!鉄道高架市民集会

8/29(日)原の桃里公民館前で高架事業に反対する人や地権者、そして富士見町の方々等多くの市民が結集をした。(画像はクリック→拡大)

いろいろの立場の方々が、スピーチをした。小学生の子は市長へのお願いとして、「私たちに、借金を背負わせないでください・・」と。小さな子を連れた母親は、「自然環境豊かなこの地域に、無駄な高架事業より、もっと人が住みやすい施策を・・・」と。

今回の集会に参加して、改めて、次世代に責任あるまちづくりを繋いでいくには、健全な財政運営のもと、住民にとって本当に安心して暮らせる住みやすいまちづくりだと考えます。
改めて、議会の果たす責任は大きいと感じています。

2015.08.30

駿河國誕生と高尾山古墳by赤塚次郎

8/30市民文化センターにおいて、高尾山古墳の学習会第2弾、「NPO法人古代邇波の里・文化遺産ネットワーク理事長 赤塚次郎氏」の古墳を活用したまちづくりを市民と行うためにはどうすべきか、既に愛知県犬山市にある青塚古墳を歴史憩いのスポットにした仕掛け人でもある赤塚先生のわくわくドキドキしたステキなお話を伺うことができた。

私たちの祖先、ルーツでもある高尾山古墳の王とはどんな人だったのか。
スルガの国の王の墓と言われている東日本最大最古級の高尾山古墳の謎は、考古学的見地からは築造年代等は解明されたとはいえ、愛鷹山麓に広がる古代スルガの地に、新しいリーダーの登場には、いったいどんなストーリーが秘められているのか。
その王が何を考え、何をこの地で成し得たのか、
赤塚先生の本当にわくわくするスルガ國の物語の始まりであった。

美しい愛鷹の森と駿河湾の海に挟まれた空間に、無限の可能性と未来への希望を夢見たリーダーの登場に、当時の地域社会においては革新的なものであっただろうという。

浮島沼と言う低地・沼の環境に住む民と標高100mの山麓(足高尾上遺跡群)に住む民、そして高尾山古墳が築造された木瀬川・狩野川低地部に住む人々と海の民。弥生後期社会から継続する海辺・低地部に集住する浜の民と標高100mに住む山の民、この二つの大きな部族集団が、何らかの理由で「駿河」の地に集まり、高尾山の王を支えていた
まさに彼らは、高尾山の王に憧れて集まってきたかもしれない。この地に育つ優れた素材がここに集まってくる。海を越え、山を越えて異国のものが往来する場面が出来上がったのだと。多くの技術集団が集まり、広域ネットワークを展開していったのではないか。

同時に大規模な古墳造営と言うイベントが民や富の動員を可能にしていった。やがて、その領域が「スルガ」と呼ばれることになっていく。

スルガという國の歴史は、まさに高尾山古墳の築造を契機として、その機運の中から創出され、伊豆半島から愛鷹山麓を抱え込むこの場面から出発したといえるだろう。だからこそ、この王墓を なくすことは、スルガの国のはじまりをなくすことにもつながる。

最後に、赤塚先生は文化遺産学からの視点として、
この古墳の存続を願うには、古墳の評価だけでは、その文化遺産を護り、継承する道筋は見えてこないという。どちらが良いかといった二項対立的な視点からは何も見えてこないと。
史跡や文化財からの視点ではなく、「文化遺産」として、国や県・市等の枠組みだけのものではない活用の可能性を探っていく。それには地域に残る物語や歴史の舞台を認識し、私たち市民が具体的なその場の歴史を造っていくことが先決だという。

沼津市民はその認識をさらに深め、 地域社会の文化遺産が目に見えるまちづくりをしてほしいと提言された。文化遺産を継承していくまちづくりは、住民にとって、不便なことがたくさんある。しかし、それがひいては、どのまちにもない沼津ならではの地域再生へ繋がっていくと。
高尾山古墳はその可能性を十分秘めているからこそ、全国の多くの方々から関心を持って下さっているのだと改めて感じている。

高尾山古墳が今まで地域の熊野神社と穂見神社に守られ続け、その存在さえ忘れ去られてきたわけだが、神社の移転と共に、今再び、その存在が蘇ったわけである。
赤塚先生のいう「平成の世に再び蘇る。その意味するところはやはり、環境変動の兆しがみられる今日的な地域再生への警鐘かもしれない」と。

二度とありえないその歴史的な遭遇を、このまちの再生のために、覚悟を持って受け止めていかなければならないと思う次第です。

2015.08.24

市政報告会と学習会

8/23健康福祉プラザで市政報告会をする。今回は暑い最中に足を運んでもらうのは申し訳なく、夕方18:00からの時間帯に変更をしてみる。今まで通りの参加者があるのかどうか非常に不安であった。
参加して下さった皆さま、本当にありがとうございました。

第1部は私の市政報告
この市政報告会の前に8/19に広島市役所、20,21,22日姫路市で全国政策研究集会で3日間の研修があり、その報告等もさせてもらう。
第2部は篠原静大教授の学習会「高尾山古墳が語るもの、なぜ保存なのか」
高尾山古墳の歴史を今後解明していく中で、やはりこの位置にあることが重要であり、古墳を移すことは、考古学的にも、全く意味がなくなるという。今回の高尾山古墳と道路の両立に向けての協議会に、考古学的な視点から意見を言う有識者がいないことについては懸念をするという。

広島市役所では、連続立体交差事業がH25から一時休止していが、この6月に見直しの方向性が出されたことでその理由について色々お話を伺ってきた。
やはり問題はコストの縮減と事業の長期化について。しかし財源的な問題は国からの安定的な補助金が確保されたわけではなく、かえってその状況は厳しくなっているという。

お忙しい中、担当の街路事業課には私たちの多くの質問に率直に応えていただき感謝をしている。やはり、多くの課題があっても、各自治体の状況によって、その判断は変わるわけだが、こうして実際、話をさせてもらうことで、多くの共通課題、そしてその市の抱える社会状況も理解ができた。
何よりも、長時間にわたり広島市の率直な意見を伺え、その姿勢に驚きと感謝を申し上げたい。
地域は変わっても、住民のために最善の方向を示し、努力していくことには何ら変わりがないわけで、その意味では、広島市の姿勢に見習うべき多くのことがあると実感させられた。

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