山下ふみこオフィシャルブログ

趣味

2014.06.01

浪人川の一斉清掃

今日は町内を縦断する浪人川の一斉清掃。

この川は 市の東北部(岡一色)を起点とし、大岡地区を南下して黒瀬橋上流で狩野川に合流する
全長4,100mの県の一級河川である。

この流域は宅地開発が著しく生活排水による汚濁負荷量が大きいと言われているが、最近はようやく
下水道整備が進み、以前に比べ、格段に水質は良くなっているように思う。

4か所+1か所の計5か所でゴミの集積場所を設け、刈り取った草木やゴミはユニックで引き上げると言う
大変な重労働である。 

ユニック3台がフル稼働で各集積地点でゴミ袋に入れられたごみを引き上げる。

今までは取りきれないゴミは、狩野川にそのまま流れてしまっていたこともあり、周辺自治会から苦情が
届いていた。

今回はその解決に向けてどのように取り組んでいくのか、事前の打ち合わせはなかったものの、
当日現場において、対応をしていくという自治会役員の打ち合わせ事項であったようだ。

上流から取りきれない草木は、最終的に黒瀬橋の合流点のところまで流れてくる。
そこで、今回は排水機場の器械を使って、ゴミをくみ上げるという方法。

最終地点のゴミ収集は非常に困難を極めた。この水門に流れてきたゴミを集め、それを機械で上げ、
最終的には水門を閉めて水量を2.5m以上上げることでポンポを動かし、
水流を使って周辺のゴミを丁度洗濯機の水流のような方法でごみをかき集めるという方法。

結局、すべてのゴミを引き上げたのは、最終地点では2時半ごろまでかかっただろうか。
水圧がかかった水の中の作業は想像を絶するぐらい大変なものであり、
平成建設の若い方々の奮闘ぶりは高齢化の地域にあって、大きな助っ人であった。

やはり住宅が密集している地域においては、下水道整備は欠かせないものである。
確か沼津市の現在の下水道整備は56%。県下においては最低の整備率であったと思う。

2014.06.01

ベアードブルワリーガーデンのオープン

ベアードブルーイングの新工場が遂に完成。

そこは自然豊かな環境があり、6次産業としてスタートをきるに最も適したところなのかもしれない。
既に無農薬の大麦栽培も始まっていると言う。

伊豆市に決めてから3年が経過した。その前は沼津市をはじめ、他の自治体とも話し合いをしてきた。

しかし、結局、伊豆市の何とかこのまちに誘致したいと言う熱意ある動きが、土地規制に係る法律的な
ことや地権者の問題などの困難を乗り切ったと言うべきなのか・・・

また何と言ってもブライアンとさゆりさんの夢を一緒になって長年支え続けてきた出資者の方々そして
スタッフがいる。

「どうしてこんな素敵な人たちが集まるの?」とさゆりさんに聞くと、「みんなこのビールが好きだから。
だから思いが通じあい、目指すものが同じなの」って。

14年前に沼津でスタートをした時のもの。

それがこんなに大きくなって・・・

5年前にブライアンとさゆりさんの夢を伺った時、本当にわくわくしたのを覚えている。
彼らの夢を一緒になって叶えたいと思ったし、きっと実現すると思っていた。

でもその時は、こんなに早く彼らの夢が実現するとは思っていなかった。そしてさらに彼らのビールは
世界展開をしていく可能性を既に十分持っているということにも改めて驚かされた。

すごい人たちが沼津にいたのに、失って初めてその偉大さに気付かされ・・・

東駿河湾環状道路の開通により、伊豆市~新宿まで高速バスで2時間半。
東京からも日帰りで充分観光ができる。

伊豆市には、これでワイナリー、ブルワリー、地酒蔵元の3代銘酒が揃い、交通の便も画期的に良くなり、
温泉、スポーツ施設、宿泊施設、結婚式場等が一堂に揃い、限界集落とも言われる伊豆市において、
これからは体験型ツーリズムの拠点として絶対注目されていくと思う。

そして何よりも市長をはじめ、職員、民間のチームワークが素早くて前向きで動きがとってもいいって
聞いている。

圏域なき伊豆半島の将来はとても明るいのではないかとそんな予感のするベアードブルワリーガーデンの
オープニングパーティーだったけれど、やはり私には喜びの反面この寂しさは一体何だろう。

2014.05.31

第4回BiViの防災訓練

5/29、第4回目のBiViの防災訓練が8:00から開始。

毎回、県立沼津視覚特別支援学校、障がい者施設ふれあいの苑・太陽の丘の皆さんも参加。当初、視覚特別支援学校から、万一の災害時にはこのBiViの施設を避難場所として利用出来ないものかと言う相談があり、それが合同避難訓練のきっかけでした。

健常者と障がいを持った人たちが一緒に避難行動をする場合はどうしたらいいのか、その基本的なことさえマニュアルとなる冊子がなく、そこで、県や沼津市に聞いてみたが、やはりないという返事。

そうならば、自分たちでやってみようと施設の方々と共に試行錯誤の中で訓練を行ってきた。

開店前の訓練と言うことで、朝早くからテナントの皆さんは集合。

施設の皆さんは映画館の中で映画を見ている状況設定の中で行われた。

映画館のフロアには視覚障がいを持った皆さんやスタッフ

火元が映画館のフロア。まずは警備の方が駆けつけ消火作業を行う。

後は2か所の非常階段を使って、テナントの皆さんと障がい者の方が一緒に避難を開始。

実際、非常階段を使った避難は、階段が広い場合は壁や手すりが近くにない場合、エスコートをしてくれる
人が頼り。お互いが声を出しあうことも必要であり、障害の程度によっては、エスコートをする状況も
違ってくるわけで、これは体験する以外に学ぶ方法はないように思う。

今回も多くの課題を残して訓練は無事終了。消防の皆さんも朝早くからありがとうございました。

2014.05.12

眠り続けた篠田桃紅の壁画

新聞やテレビで報道されている美術家「篠田桃紅」さんの作品を特別応接室で見学をさせていただく。

1966年(昭和41年)に今の庁舎が完成。その時の完成記念として、120万円で購入された壁画「泉」。
今ではその価値は2000万円にもなるというもの。

既にこのことがウィキペディアに加筆されていた。誰かの素早い対応に驚く。

この部屋は私も年に2,3回利用するだけだが、この7年間カーテンに閉ざされていたことさえ記憶にない。

厚手のレースのカーテンに覆われ、30年以上日の目を見ることはなかった。
しかし、そのお陰で西日による色あせを防ぐことになったらしい。

作品は力強さと大胆さで圧倒される。

1967年当時の写真は、今よりも明るいイメージ。

この全国ニュースにもなったこの壁画を是非多くの方々に見ていただく機会を、
作品の保存状況を検討した上で、早い段階で公開をして欲しいものです。

篠田桃紅さんの印

2014.05.06

娘の結婚

しばらくブログをお休みをしていました。娘の結婚式準備等で忙しかったことや複雑な心境の中で
書けずにいました。

気持ちの整理もあり、私的なことですが報告をしようと思います。

娘は中3の時、オリンピックスイマーを目指してメルボルンに留学。学校の寮から、タクシーやトラムを
使って朝・晩の練習に通いました。当時は言葉のハンディや人種差別もあり、本当に苦労をしたよう
ですが、自ら選んだ道ですから、決して帰りたいとは言わず、早15年の歳月が流れました。

今、娘は建築家として仕事をしています。

今回、娘とジョエルが日本で式を上げることを選択した理由は聞いていませんが、
日本で式を行うにあたり、多くの難関がありました。

娘の理想とするウェディングを通そうとするには、同じ価値観を共有する人がいなければ無理です。
それとそれに費やす労力と妥協しない信念が必要でした。
しかし、その思いを理解できる人はなかなかいなかったように思います。親の私でさえ、
当初はなぜそこまで苦労をしてやるのか、訳が分かりませんでしたから。

日本のパケージウェディングにのってしまう方がどれだけ楽なことかと何度思ったことでしょう。

彼女が貫こうと思ったのは、来て下さる方々と家族が共に式に関わる一切を楽しむという
「遊び心」でした。それをするには、今までの日本の式場スタイルとは全く違うものであり、
招待状から料理のメニュー表、時間設定からすべて自前で用意するしかなかったようです。

最初は何故そこまでこだわるのかと反対をし、世間並みでいいという私の意見はことごとく却下されて
いきましたし、私の周囲の人たちは、皆、その計画は無謀だとさえ言いました。

5日間のスケジュール表は分単位で計算され、其々の役割分担と時間設定の緻密さは並大抵では
ありませんでした。

だからこそ、本番は何一つ狂うことがなかったように思っています。娘とジョエルの式を友人たちが
その役割を着実にこなし、支えてくれたことも大きかったでしょう。

今回、私は何一つ口を出さず、手も出さずと言うよりは、どう進んでいくのか不安だけが先立ち、
ただただ見守っていただけ。娘からは、ママは何もしてくれないと言われてしまいましたが・・・

しかし、その5日間は本当に心に残るものであり、その一こまを私なりに本当に記しておきたいと思い、
今やっとその気になりました。その一部を紹介しようと思います。

1日目:東京・京王プラザホテル。シングル最後の時間を過ごす男性陣のBucks dayと女性陣の
Hens day、この日は別々に夜の東京を楽しむ。

Hens day パークハイアット東京 52階バー

2階建てバスで東京観光→和食・居酒屋→カラオケ→

2・3日目:其々が沼津市内の観光と居酒屋・魚市場めぐり(沼津に3~4泊)

式の最後の打ち合わせを自宅で

この間、雨は3日間降り続け、式本番が案じられていました。
4日目:自宅~大社へ レンジローバーとジャガーが、運転手つきで8台が迎えに自宅まで 
私はずーっと反対をし続け、何でこんなことまでするの~っと・・・

ジャガーとレンジローバー8台の後ろにおまけのパトカーまでがついてくることに・・・

呉竹さんの計らいで人力車もお借りすることに。

全員が大社の鳥居前で出迎えてくれる。

93歳の祖母も出迎えてくれる。

ブライズメイトと一緒に神殿へ向かう。

花嫁をサポートするブライズメイトと仲間

全てが終わった途端、雨が降り始める。
 
5日目:ウェディング本番は快晴に 淡島ホテル

ジョエルの両親と。

披露宴は全てキャンドルの明かりで

二人がダンスをしながら下りてくる。

二次会はニューヨークでDJをしているシンちゃんの曲に合わせてダンスタイム・・・深夜まで続く

翌日も快晴:

終わってほっとしたというよりは、本当に気持ちよく、心から送り出すにはどうしたらいいのか、
ずーっとその葛藤の連続でした。この為に留学させたんじゃないとも思っていましたし・・・。
 
娘の人生半分は既に海外での生活になってしまい、親の私たちが彼女の人生を知るのは、ほんの一部です。
ただただ健康で、娘が日々幸せに過ごしてほしいと願うことしかできませんでした。
 
今回、本当に70名の友人が海外から駆け付け、日本の友人も駆けつけてきてくれたことが、
何よりも着実に人生を歩んできた証だったのかと思うようになりました。

夫が式の席で言った、「親はなくても子は育った・・・」
見本みたいな子育てだったんだなぁ~とつくづく反省もし、皆さんに心から感謝をしました。
 
今やっと少しずつ、心の整理ができそうです。親子喧嘩をしても最愛の娘であり、最も冷徹に厳しい
意見をいう家族の一人です。
本当に、これから二人が世界のどこにいても、ママたちは見守っているし、信頼できる家族でい続け
ようと努力していこうと思っています。
 
ありがとう。