山下ふみこオフィシャルブログ

その他

2016.04.10

長谷川徳之輔先生とお別れ

長谷川徳之輔先生(明海大学名誉教授)3/25死去、79歳でした。
先生との出会いは、私がまだ議員になる前です。帽子デザイナーとして帽子工房を開設し、生徒さんと一緒に帽子を作っていました。
沼津朝日新聞に先生が投稿した「鉄道高架事業の問題」を目にしたことが発端で、ぜひ先生に会いたいと想い、2006年の夏、明海大学に訪ねていきました。その時、先生との約束が渋滞に巻き込まれ4時間ほど遅れてしまいました。初対面の大学教授との約束に、私は4時間も遅れたにもかかわらず、先生は「こんなに待たされたのは初めてです。」と恐縮する私を笑顔で迎え入れてくれました。
それから、先生と私たち主婦の勉強会「ぬまづ大好き塾」が、その年の9/6からスタートしたのです。
http://plaza.rakuten.co.jp/coupdecoeur/diary/200609060000/

私が議員になってからは、先生は私の議会報告によく出て下さり、いつも「まだまだ・・」と叱咤激励をしながら、毎回「もうこれで最後だよ」と言いながらも、9年間ずーっと後援会長を務めて下さいました。
昨年の選挙の時も、「僕にできることはないの?」と言って、選挙期間中ホテルに泊まり込んで1週間ずーと私たち主婦の選挙活動を応援してくれました。一緒にチラシ配りやポストインをしてくれたこともあります。
先生の友人からは「物好きだなぁ~どこの馬の骨ともわからないのに・・・」と言われたこともあったようです。だからこそ、先生は一生懸命応援して下さったように思います。

昨年4月、3回目の選挙の開票時、当選が確定した夜、全員で喜んだ時のものです。
この3ヶ月後に入院をし、お見舞いに行った時は元気な様子で、9月秋になれば元通りになるからとお手紙も頂いていました。この時も,沼津市長宛の意見書をはじめ、事あるごとに、国会議員、県会議員、市議、元市長、有識者の方々へ鉄道高架事業の将来性や財政的問題を指摘した資料を郵送されていました。

家族の方から、主治医が言うには、先生はこの15年間、病を抱えながらも狭い平均台の上をスイスイと渡り歩いていたようですが、実はそれさえも奇跡的であったようです。
私たち仲間からも「徳ちゃん」と呼ばれるほど、かつての栄光をひけらかすこともなく、本当に純粋に沼津のことを愛し、友人を愛し、私を支えて下さったことに心から感謝をします。
先生はどんな権力にも屈せず、「鉄道高架事業の愚かさ」を誰に憚ることなく、正面から追求した人はいない。その正義感を私も貫き通します。どんな嫌がらせやいじめにも屈しない覚悟を持ってこれからもやっていこうと思います。

合掌

2016.02.04

整形外科函南クリニックのオープン

2/3、整形外科函南クリニックがオープンしました。「根津クリニック」の先生が亡くなられ、しばらく閉鎖されていたようですが、生前の根津先生をよく知る勝部先生が、その遺志を継いだようです。
開設の理念は「恕」慈愛と言う意味があるようです。
このクリニックでは、レ線・CT,MRI,など運動器疾患を精査する診断機器を準備し、骨関節・脊椎疾患の的確な診断と健康寿命延伸のための治療指針を示すべく鋭意を尽くしたいとしています。

勝部先生とそのファミリーとは毎年1月1日に城山に一緒に登ります。頂上で乾杯をし、人ひとりがその年の抱負を述べるという恒例の家族行事は既に20年以上になります。
中伊豆温泉病院で現役で活躍されている先生が、今回このクリニックをオープンさせたことは、もちろん家族の協力なくしては実現しないことでしょうが、それにもまして、73歳になった先生が医師としてさらなる挑戦をするということは、すごい覚悟を持ってなされたことだと思います。
先生の覚悟とは、これからの医師としてゴールの人生を「恕」という漢字が示すように、患者が求めてやまない慈愛に満ちた診療を目指すということでしょうか・・・

どうぞ、地域の方々に愛されるクリニックでありますように、皆様よろしくお願いいたします。
そして先生にとっては、さらなる究極の目標に向けて、今年の挑戦が成就することを祈願します。

2016.01.29

比叡山坂本 律院と千日回峰行

この日はとうとう宿坊に急遽泊まらせて頂き、翌日の護摩堂で、阿闍梨様による護摩木お焚き上げを見ることにした。
と言うのも、今年初めての不動明さまの初護摩木お焚き上げと言うことで、とても貴重な経験だからと勧められたこともあり、何かのご縁だと素直に従うことにした。

翌朝は5時に起きて、6時から始まるお護摩焚きに備えた。

阿闍梨様は1本、1本護摩木を確かめながら供養される。この時は千日回峰行の浩元様も一緒でした。
お焚き上げが終わると、阿闍梨様によるお加持がある。

★★お加持とは、仏の大悲の力と衆生の信心が相応ずること。
すなわち仏の力が行者に加えられ、行者がそれを信心によって感得し、両者が一体化すること。
お加持の受け方は、手と手の間で印を結び、胸の前で合わせます。
阿闍梨様により、お数珠で頭、両肩にトントンとあてて回られお加持を受けることができます。私は心の中で願意を唱える間もなく全てが終わり、心地よい緊張感の中にいた。

それから朝食を頂き、その後、浩元さまの処に連れていって下さった方のお陰で、一緒に会うことができました。

浩元様に「苦しい修行にダメだと思うことはありませんか?」と尋ねると、「ここに至るには全てを覚悟して入ったので、苦しいことも・・・」後は何と仰られたのかよく覚えていないが、その言葉を聞くうちに、覚悟の足りない自分に涙が溢れて・・・
そしたら、一緒に写真とりましょうか?と言って下さって・・・
阿闍梨様が何たるものかも知らずに、阿闍梨様や浩元様ともお話ができ、この間の出来事がまるで夢の中にいたような時間を過ごさせて頂きました。

2016.01.28

比叡山坂本 律院

1月25日~27日まで大津市の唐崎にあるJAIMで議員研修を受け、その最終日に知り合いの勧めで比叡山延暦寺に急遽行くことにした。唐崎駅から一駅のところにある比叡山だが、私はそのことも知らなかった。
JAIMの研修は毎回余裕がないほどカリキュラムが詰まっているので、終わった時はへとへとになり早く帰りたいのが先に立つ。
今回、勧められたのは延暦寺の麓にある律院さんを訪ねるようにと言われた。そこに着いた途端、多くの出会いが待っていた。あれよあれよと言う間に、私は宿坊に泊まることになる。

律院の門をくぐると、すぐに阿闍梨様に会うように段取りがされていた。延暦寺に足を踏み入れたことがない私は、まずは延暦寺に行きたいと阿闍梨様に言うと、「おーい、おーい」と小坊主さんをお呼びになって、私をお連れしなさいという。
そこに、「延暦寺に行くのなら、私が丁度そちらに行くので、車でお連れしましょう」と言って下さる方がいて、その方とご一緒することにした。
その方は千日回峰行に入っている浩元様にお米を届けに行くという。

延暦寺は雪深く、千日回峰行をなされている浩元さんの住まいはもっと雪深い処でした。「滅多にないことだから一緒に行きますか?」と誘って下さったので一緒に行くことにした。ブーツの私は雪の山道を滑らないように慎重に歩きながら40分間位歩いたでしょうか。

住まいはシーンと静まり返って、表札らしきものと苦行を共にした草履が軒先にかけられて・・・ただ犬がわんわん吠えたてていただけで人の気配はありませんでした。普段はほとんど一人で生活しているようです。
千日回峰行がどれだけ過酷なものなのか、以前テレビでその様子を見たきりだったのですが・・・
浩元さんは千日回峰行のちょうど5年目が終わり、9日間の堂入り(断食・断水・不眠・不臥)が終わったところで、今年から1日60kmの行程を100日間の苦行に入られるということです。

★★千日回峰行は7年間かけて行なわれる★★
1
年目から3年目までは、1日に約30キロの行程を毎年100日間。行者は定められた260カ所以上のすべてで立ち止まり、礼拝して、峰々を巡ります。
4
年目と5年目は、同じく1日30キロを、それぞれ200日間。
ここまでの700日を満じると、“堂入り”をむかえます。比叡山無動寺谷の明王堂に籠もり、9日間、断食・断水・不眠・不臥(食べず、飲まず、眠らず、横にならず)で不動真言を唱えつづけます。その回数は10万と言われ、満行すると阿闍梨と称され、生身の不動明王になるとされます。

6年目は、それまでの行程に加え、比叡山から雲母坂を下って赤山禅院へ至り、赤山大明神に花を供し、ふたたび比叡山へと上る往復が加わり、1日約60キロとなります。その100日は「赤山苦行」とも呼ばれ、行者の足でも14~15時間を要する厳しい行程です。

7年目は、200日を巡ります。前半の100日間は“京都大廻り”と呼ばれ、比叡山中から赤山禅院、さらに京都市内を巡礼し、全行程は84キロにもおよびます。最後の100日間は、もとどおり比叡山中30キロをめぐり、千日の満行をむかえます。

次の日は不動明王様の今年最初のお護摩焚きがあるので、是非にと勧められ、結局この日は宿坊に泊まることにして夕食の精進料理を頂き、明日6時から始まるお護摩焚きに出ることにした。

2016.01.22

静岡県産業振興財団へ行く NO1

静岡県が100%出資の外郭団体の公益財団法人「静岡県産業振興財団」を訪ねる。ここは創業支援、経営支援、技術研究開発等の静岡県内中小企業の総合的な支援機関です。
今回、この財団に伺ったのは、ある会社の企業訪問をした時に、そこの技術に大変興味をもったことが発端である。会社の方も、下請けばかりではなく、何とか自社ブランドの製品を立上げたいと思っていたところです。
そこで、今回、私自身の勉強も含めて、何とか売れるオンリーワンの商品開発ができないものか、また売れる仕組み作りにも相談に乗ってもらえるのか等、率直に色々お話を伺うことができた。
本当にお世話になりました。

例えば、ある企業はスキルがあっても商品開発や販路開拓が分からない場合、どうしたらいいのか。
その事業の実現まで、ワンストップサービスでこれから取り組もうとする事業の支援が適当かどうかも含めてアドバイスをしてくれる。
また、多くの事例やネットワークを駆使し、事業者同士のマッチングも県内に限らず、広域的な視野に基づいて考えてくれるようなので、より可能性は広がっていく。
また地域活性化基金もあり、研究開発等に要する費用は補助するようで、またその時々で色々の助成金もある。
地元の商工会もそうだが、ここのように広域的な情報を持っているところで、親身に相談に乗ってくれるスタッフがいるので、安心して率直に質問もできる。
下の写真のグループは6つのセクションに分かれているが、一貫したサポート体制があるようなので、この支援機関を気軽に利用したらどうだろうか。

財団の訪問が終了し、次に向かったのは、静岡県中小企業診断士協会が取り組んだ事例発表である。企業の経営改善をお手伝いしてきた診断士によるもの。とても興味深く、企業診断士の役割が理解できた良い機会になった。
次回は1/27沼津で14:00~16:00 大手町のさんさんホール2Fである。

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