山下ふみこオフィシャルブログ

2022.04.07

香貫山展望台のしだれ桜

香貫山の展望台にある「しだれ桜」今年も何とか咲いてくれました。じっと見ていると痛々しそうです。
本当に一生懸命咲いてくれているようで健気に思えてきます。一時は再起不能と言われたこの「しだれ桜」の復活は、山の仲間たちの地道な努力のおかげです。

潮風が当たるために南側には枝が張らず、北側だけに枝が伸びるので、アンバランスになっている。

当時のことをちょっと書き記しておきたいと思う。
2015年5月、
香貫山の頂上にある”しだれ桜”がこの春に花があまり咲かず元気がないと、山に登っている人々が心配をして何とかしてほしいという声があがっていた。
このしだれ桜は、この頂上の名物桜でもあり、市民からその見事さに多くの方から評価がされていた。

6月、香貫山頂上にあるしだれ桜SOSプロジェクトの2回目の作業は、つつじの木が桜をかこっているの陽が射さなくっているためにつつじの移し替えを行い、その後に根っこの掘り起こし。20センチの深さまで全ての桜の根を掘り起こし、土を入れ替えるのだが、この掘り起こし作業は全て根っ子を傷つけないために手作業でやっていく。

2016年7月、1年経過して桜の木が元気にならないので、秀佳園の羽切さんに再度現地で見てもらったところ、根の周囲にかぶせた土が若干深すぎ、根の呼吸を妨げているということで、手作業でその覆いかぶさった土を取り除く作業を今後していかなければならない。その時には根を踏まないように、根の上に板をかぶせ、そしてスコップ等を使わず手作業で土をかき出す作業をしていくことになる。こうして気の長い根気の作業に挑戦することになるわけだが・・・

潮風が当たるために南側には枝が張らず、北側だけに枝が伸び、その枝が伸びてそこを通る方々の邪魔になり、通行者の安全とぶつかって枝が折れてしまわないため、人が桜の根を踏まないために柵を設ける。

桜1
さくら5

この上でダブルクリック - ここにキャプションが入ります。

とうとう2年後(2017年4月)見事に復活し花を咲かせました。
協力をしていただいた造園家の羽切さんをはじめ、香貫山の皆さんの地道な作業のおかげです。


一時はどうなることやらと気を揉みましたが本当に嬉しい。手塩にかけて皆が見守ってきました。

これからも大切にしていきましょう。

2021.04.05

香貫山の桜その2

すでに多くの桜は散ってしまい、数日前のあでやかな満開の桜の競演はすっかり影をひそめ、今は道端に散った桜の花びらの数だけがその面影を残すだけになってしまいました。
でも、さらに4月中旬頃に開花予定の桜たちが見ごろになってきています。桜は会うタイミングで色々な姿を見せてくれます。だからこそ、会うたびに感動をもらいます。香貫山って改めて面白いって思います。
「手弱女」は名前の通り優しくしなやかな女性を連想させる桜だといわれています。やっと見ごろになってきています。

関山:奈良時代に始まる大和朝廷から、平安・鎌倉・室町時代の中央集権が始まると、日本の各地から都へ貢ぎ物と共にいろいろなサクラの種類が集まることになり、そこでサクラが自然の交雑によって多様な雑種による品種が生じたとされています。同時に当時の人々は、積極的な交雑法やつぎ木技術を開発し、それらの品種が600年後の今日まで受け継がれたことになります。
このような例は世界のどこの国にも類を見ないといわれています。ちなみに奈良時代より伝わる古い品種には奈良の八重桜、関山、普賢象などがあげられます。

2021.04.01

香貫山の桜

香貫山の桜が満開を過ぎ、一昨日からはおびただしい桜吹雪の競演が始まっている。
蕾の時の可憐さが、競うように満開になって、そして今はまるで蝶々が舞うように桜吹雪で路面がまるで桜色の絨毯を敷いたようになっている。改めて、香貫山の桜の品種の何と多いこと。実際に桜の名所の8割はソメイヨシノだが、自生種9種をはじめ変種、交配種を合わせると600以上の種類があるという。

香貫山の数十種の桜が日を追って徐々に満開になっていく。一斉に咲いて一斉に散っていくのではなくて、其々が日を追うごとに主役になっていく。そのたびに白が主体だったり、淡い桃色が主体だったり、それは日を追うごとに変わっていく。これから満開になっていく手弱女(たおやめ)、御衣黄(ぎょいこう)、鬱金(うこん)、松月(しょうげつ)、妹背(いもせ)など、まだまだ香貫山の桜から目が離せない。

樹名板が古くなってきているため、その多くが壊れていたり、樹名が読み取れないものなどがあり何とかしたいと思い始めている。

2021.03.20

香貫山の三春滝桜に看板

香貫山の桜台近くに「三春滝桜(福島県三春町から寄贈)」が咲き始めています。この山に登ってくる人たちの間では、秘かに開花を待ち望んでいる桜の一つです。そして市民が要望していた滝桜の経緯を記した看板が開花を前に設置されました。(農林農地課・職員の手作り看板)
三春滝桜の苗木の寄贈については、平成21年9月に視察で市議会議員と担当部署の産業振興部長、農林農地課長が福島県三春町(人口17000人)を訪問し、その際、沼津市の桜の名所づくりの取組の趣旨に賛同していただき、翌年の2月に苗木を寄贈していただくことになったようです。ちょうど東日本大震災の前の年でした。

平成29年2月に、三春滝桜の苗木を寄贈した自治体等32か所に「娘へ」と題した三春滝桜からの手紙がこの沼津市にも届きました。その手紙には、滝桜を「母」、苗木を「娘」に見立て、我が子の成長を気にかけている内容で、私たちはそれに感動し、市民の方々をはじめ香貫山を訪れる方々に三春町の滝桜のことを知って戴きたいと思っていました。

三春町の役場の方に手紙を送付した目的を伺ったところ、「苗木の現状を確認したいこと」「娘たち(滝桜)の代わりに里帰りをしてもらいたい、三春に来てもらいたい」という思いを込めたようです。

大正11年10月12日に、桜樹としては初めて国の天然記念物に「三春滝ザクラ」の名称で指定。同時に指定を受けたのが、岐阜県本巣市の「根尾谷淡墨ザクラ」、山梨県北杜市の「山高神代ザクラ」、静岡県富士宮市の「狩宿の下馬ザクラ」(昭和27年に特別天然記念物指定)、埼玉県北本市の「石戸の蒲ザクラ」です。

日本を代表する桜の巨木で根尾谷淡墨桜、山高神代桜とともに日本三大桜に数えられ、近年は西の淡墨桜に対し、東の横綱とも言われています。

↓下の記事は昨年地元紙に掲載され、この桜の経緯から三春町の滝桜への思いを知ることになった。

香貫山三春滝桜1

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