山下ふみこオフィシャルブログ

2014年11月

2014.11.29

ふみこの市政報告会

市政報告会をサンウェル沼津で行いました。今日はあいにくの雨の中、わざわざお越しいただき感謝申し上げます。このような市政の報告会をどこでも開催したいと思っていますが現状は出来ていません。
議会や議員の仕事をどのように思っているのか、このような機会を作ることで市政や議会に関心を持っていただけたらと思っています。

報告会はいつもお話をしたいことばかりで、今回も質疑の時間が十分取れずに反省してます。わざわざ来て頂いたわけですから、もっとみなさんの思いを受け止めるような会にしていきたいと思います。

A3二つ折り_表(外側)-1103 (3)

いつも議会後に「山下ふみこのチャレンジ通信」を配布させていただき、その中で報告会のお知らせをしています。このような報告会に足を運んでいただくことは本当に難しいと思っていますが、今後も地道に続けていきたいと思っています。

2014.11.23

アフリカの子どもたちへ教育を

娘からラインがきました。「ママが日本から初めてのスポンサー」と。「ええ~?」
娘の友人(Louren George)がタンザニアで貧しい子どもたちの教育に関わっていると言う。ローレンは再度、大学でinternational studies/teaching、国際的に教えるための教科を取得して、タンザニアへ再度わたる。
そこには信じられないほど貧しい子どもたちがいて、毎年、その学校に入れる子どもは25人だと言う。
www.steventitoacademy.org/sponsor

ローレンはこの子どもたちのために、学校のシステムをしっかり構築しようとしている。teachingを取得して再度タンザニアへ渡っても、彼女の給料は1日1000円ぐらいだと言う。
そんな彼女に友人たちは、この学校の子どもたちのスポンサーとして協力をしていると言う。

ローレンは娘の結婚式にはタンザニアから出席してくれて、彼女が子どもたちと折った千羽鶴を結婚祝いにプレゼントしてくれた。
帽子の箱に入った千羽鶴

子どもたちは安全に学校へ行けるように、スクールバスに乗って学校に行くことができる。たくさんの貧しい子どもたちの中から毎年たった25人の1年生しか学校に入れないと言う。

その25人の子どもたちのスポンサーが足りないので、なって欲しいと言う娘からのメール。ということで、1人の子どものスポンサーになるという$58/monthの証明書がネットで届く。
8年間1人の子どもとのスポンサー登録をする。

スポンサーになると子どもたちの学校に訪ねていくことができるようです。
毎週アップデートのメールとスポンサーの子どものプロフィールと年に2回の手紙が来るようです。

日本からのスポンサーは、私が1号のようでまだいないようです。
この子たちのスポンサーを募集中と言うことですので、よろしくお願いいたします。

2014.11.23

手をつなぐ育成会のバザー in 沼津

恒例の「沼津市手をつなぐ育成会バザー」に中小企業家同友会の一員として参加しました。
毎年1回、市役所玄関前で繰り広げられるバザーは、地域の野菜・干物から施設の手作り品、バザー品、焼鳥、豚汁や手作りパン等、多くの食材や物産が並ぶ。
今年は例年よりバザーの提供品が少なく、どの会場も同じような問題を抱えていると聞く。

しかし、毎年楽しみにして下さる方もいて、本当に今回も多くの方でにぎわいました。

沼津の干物やさんのご厚意で今年も美味しいアジの干物が大好評です。私は毎年バザーの販売お手伝いです。

今回、私が買い求めたお気に入りの品 「沼津のぞみの園」(生活介護事業所)の知的障がい者の描いたイラストのはがきです。3枚で50円です。可愛くて優しいデザインは何故か心まで優しくなります。誰に出そうかなぁ~この葉書・・・
余り可愛いので、我が家の庭で葉書の撮影会

2014.11.17

第60回香貫山影奉仕と香陵台駐車場

 11/15香貫山の清掃活動を行う。今回は山の会「五十雀」の有志の方が参加。気になっていた香陵台公園の駐車場周辺の植え込みの整理を行う。この時点では、植栽された木々がうっそうと生い茂り、死角となったところには、猫のえさ場が設けてあったり、大きく陥没した穴がそのままになっている。
そこで、今回はこの周辺の植木の刈り込みを行う。

貞明皇后の記念碑はS28に建立され、その後に駐車場ができたようですが、今ではその1/3を占める面積にそうでなくても狭い駐車所に不満の声さえ出ている。貞明皇后さまの御手植えの松は枯れてしまい、今も無残に枯れた根っこだけが残っている。その周囲を囲む植栽は伸び放題で、その植栽の内側は猫の住処が作られている。
こういうのを野放図と言うのだろうか。今となっては駐車場の中に不自然に立つ誰にも省みられない貞明皇后様の碑は何とも悲しい。

植田内膳翁:江戸時代前期の治水家。

かつて駿河駿東郡上香貫村(静岡県沼津市)の人。狩野川からの灌漑用水の開削工事をおこない,5年の歳月をかけて寛永9年香貫山麓をめぐる用水路を完成。香貫用水が完成してからは、その恩恵を受けた人々から、親しみを込めて「内膳堀」と呼ばれるようになったようです。今でも霊山寺で法要が行われていると聞きます。

香陵台公園の清掃一つするだけでも色々な気付きがある。10年以上前から「香貫山のあり方検討委員会」がたちあげられ、行政と市民、有識者の方々で何度も検討されている。
行楽シーズンになると、駐車場は道路上にも溢れ、上り下りも渋滞が発生し、歩行者も危険な目に会う状況が毎年続いているが何も解決に至っていない。
でも少し全体を見回せば、色々の解決策が見えてくる。やはり市民との合意形成を図ることは必要であるが、何よりもこの山をどうしたいのか、そのビジョンがないままでいることが、全てにおいて中途半端な整備に繋がっている。
ここから見る絶景も何もかも活かされていないことに・・・・ちょっと考えてみたい。

2014.11.04

地震・津波対策の行政視察 in 袋井市

 吉田町の次は袋井市へ。まずは市役所で「津波避難マウンド平成の命山」の説明を受ける。そこで名産のメロンを出されて一同感激。袋井市は温室メロンやお茶が有名である。

平成23年に浅羽南地区連合会から要望書が出され、命山建設の整備計画が検討される。H24年5月~は地元との意見交換会を重ねながら、整備の方針や形状について協議

敷地面積6,433㎡、収容人員1300人、高さ・海抜10m, 避難階段4か所とスロープ1か所(スロープ8%車いす利用可能)、駐車場9台、工期H24年10月~H25年12月、用地取得費6500万円、工事費1.4億円、総額2.2憶円。国の補助金はおよそ1/3。経費は法面の芝生管理委託料152万円。

液状化を防ぐために盛り土にはセメントを混ぜて地盤を固めている。

この命山は遠州灘から1.3km離れている。この周辺は海抜2,3mの低地で高台がなかったために、津波襲来時の避難地として考えられた。
県知事は式典で避難タワーの耐用年数は50年だが、命山は500年後にも語り継がれる」と完成を祝ったそうです。

地域住民はイベントやウォーキングで利用し、維持管理は市で行っているが、今後は地域への協力は求めていくと言う。

2014.11.04

地震・津波対策の行政視察 in 吉田町

 10/31、地震・津波対策調査特別委員会で吉田町の避難タワー、袋井市の命山(築山)へ行政視察へ危機管理課職員と共に向かう。

10:30に吉田町役場で、議長から吉田町の概要説明がある。人口29,824人、海岸線は5km.津波高は最大で8.6m。
担当者から東日本大震災以降の3カ年以内に避難困難地域に15基の津波避難タワーの整備をしたことの説明を受ける。
3カ年で約62億円の事業費をかけて、15基のタワーの整備は驚異的と言うしかない。
その事業が進んだ裏には町長の強力なリーダーシップがあったと言う。

避難タワーの事業費の財源内訳をみると、主なものは国庫支出金と吉田町の市債が約半分ずつ主なもの。
国が災害対策事業の補助金枠を設けた時に、いち早く町長自らが国に何度も出向き、県下ではいち早く補助金獲得をしたことで、この事業が進んだと言う。

このタワーはTVでも話題になったタワーで収容人員は1200人。工事費は4.5憶円である。このタワーは横断歩道橋(道路法)は津波避難施設(災害対策基本法大40条に基づく)との兼用で2つの目的を兼ねた施設である。
上るには階段しかないが、いざとなった時には車いすや歩行が困難の人には、みんなで持ち上げて上まで持っていくことが前提である。合理的な考え方である。

2014.11.03

沼津市防災講座 山村武彦

 11/3今夜は沼津市防災講座が文化センターであり、講師は沼津市の防災アドバイザーとして市長が懇願したと言うTVでも有名な山村武彦さん。災害から「命」を救うにはどうしたらいいのか、「近助の精神と防災隣組の必要性」を説く。
形式的訓練は「凍りつき症候群」といって、いざ災害になった時に日頃の訓練をしていないことが、とっさの地震時に行動できず、凍りついて動けなくなり、それがしいては命さえ失うことになるという。
統計では地震が来た時に、泣き騒ぐ人が15%、呆然として何もできない人が75%、残りの1割が生き残るための行動ができる人という。
では全ての人が生き残っていくにはどうしたらいいのか。

宮古市では明治・昭和の大津波の教訓から生き残るにはどんな行動をするのか。そこで「津波てんでんこ・命てんでんこ」と伝えられ、津波のための堤防や避難路整備、そして避難訓練をしてきたことが今回の津波時に活かされたと言う。

地震時どこにいるかが問題で、その場所によって避難行動はもちろん違ってくる。大きな地震が来る前のP波の数秒~数十秒間の小さな揺れの時に逃げなければならないという。
1・玄関ドアを開け、閉じ込められないようにしておくことが大事
2・安全ゾーン(避難場所)へすぐ逃げること(机の下やトイレ等に逃げるのは適切ではない)
3・靴をはく

山村さんは一番大事なこととして以下のことを提言して下さった。

・基本的にタイトルにもあるように、ご近所同士の日ごろの付き合いの中で、互近助の実践的な訓練を心がけていくことが大事であること。
・その時には災害弱者と言われる人を、どう助けるのかと言うことも、話し合う事が必要である。
・地域での目標を持って、そこに向けた取り組みを段階的に考えていく。
改めて地域の防災訓練が形式的に終わっていないだろうか、見直す良い機会になったのは言うまでもない。

2014.11.01

母から娘への手紙

10/5~19まで珈舎で開催された”阪野 鑑 書展”があり、その鑑さんから礼状が届く。
そこには「母から娘のへの手紙」(作者不詳)が写されていた。
その手紙には、余りにも母の思いがいっぱい詰まっていて胸が苦しくなるほどでした。

 https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10150881840614106&l=e3ca7a0c74

書家の鑑さんは1977年生まれで、感性豊かで愛のある方です。私は彼が選んだ作品に心惹かれます。
そして今回の礼状には作者不詳の手紙がしたためられていました。
今だから分かるこの手紙に書かれた母の想い。
でも子どもたちには、まだわからないでしょうねぇ~、きっと。

母から娘への手紙:原文‘Letter from Mother to a Daughter" 中島美緒訳

私のかわいい娘へ。
私が老いていることに気付いたときには、落ち着いて受けとめてね。
何より、私が直面している状態を理解しようとしてほしい。

話をしているときに私が同じ話を何回も繰り返したら、
「さっき同じこと言ったじゃない」なんて言って遮らずに、ただ耳を傾けていて。
幼いあなたが眠りに落ちるまで、私は幾夜も幾夜も同じ物語を読み聞かせたわ。

私がお風呂に入りたくないと駄々をこねても、怒って私を責めないで。
あなたが小さな女の子だったころ、言い訳をして逃げ回るあなたを追いかけて
お風呂に入らせなければならなかったことを思い出して。

新しいものに対して私が無知であることに気付いたときは、
そんな目で見ないで、ゆっくり時間をかけて覚えさせて。
覚えてるかしら、私があなたにたくさんのことを教えてあげたこと。
正しい食べ方、お洋服の着方、髪のとかし方、そして毎日ぶつかる人生の壁との向き合い方まで、ね。

私が老いていることに気付いたときには、落ち着いて受けとめてね。
何より、私が直面している状態を理解しようとしてほしい。

私が何を話していたか分からなくなってしまったときは、思い出す時間をちょうだい。
そして、もし思い出せなくても、心配したり、いらいらしたり、馬鹿にしたりしないで。
私にとって何よりも大切なことはあなたと一緒にいることだということを分かってね。

私が年老いて、以前のように歩けなくなったときは、やさしく手をとって。
あなたが初めて歩いたときに、私がそうしたように。

そんな日がきても、決してさみしいだなんて思わないでね。
私が最期の日を愛情に包まれながら迎えられるように、ただそばにいて。

ともに過ごした時間、ともに過ごすことができた幸せを、あなたに感謝しています。

満面の笑みと、いつ何時も絶やすことのないあなたへの愛とともに伝えさせて。
愛する、私の大切な娘へ。

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