山下ふみこオフィシャルブログ

2018.06.10

茶生産の新たな取組 by(株)流通サービスNO1

6/8菊川市にある(株)流通サービスは、お茶の生産から製造、包装、販売、輸出入等、六次産業をすでに手掛けているということで、なないろの風の仲間と服部社長のお話を伺いに行く。
今、お茶農家の危機が叫ばれて久しい。お茶を作れば作るほど赤字が嵩むとまで言われている。その茶生産の新たな取り組みとして地域ブランドの確立、後継者の確保、耕作放棄地の防止、学生たちへの農業体験など独自の仕組みを作り上げている。
社長は年に40回以上海外を飛び回っているため、なかなかアポが取りづらくやっと念願がかなった。
社長自らが海外現地に出向き、そこの風土や環境、そしてそこでの信頼関係を構築することが基本だという。それから商品を売るには、お客様のモニタリングをしてそのニーズを常に調査し、そこで求められる商品を開発していくことだという。
「とにかく自分一人でも現地に行かなければ始まらない。そこで信頼関係を作っていくことから始まる。市場の相場により価格が決まる取引で、品質が良くても農家の苦労や労働力に対して価格には反映せず、市場の相場で価格が決まってしまう。この会社が正当な価格で売買できているのは、ダイレクトに現地の方との信頼関係でつながっているから。そして相手が欲しいものが自分の所にしかないから、相手は高くてもうちの商品でなくてはダメという。今までの種まきが次の人につながっていく・・・」
欲しい商品を正当な価格で売ることができる取引こそ、本来あるべき取引の仕組みである。社長自らが世界に出向き、商品のデモストレーションを行い、今の取引の仕組みを築き上げてきている。

彼が話す力強い言葉の一つ一つに刺激されながら、自分が今まで議員活動をしてきた「現場に答えがある」という姿勢は似ている。彼の精力的な行動力の裏には、100年続いてきている服部製茶が実家で、父親は商売はいつか変わっていく、そのためには100年先をみる商売をしていくことだと教えられてきたという。お茶に対する確かなものを見る審美眼と人のやらないことを地道に続けて種をまいてきたことが、今では世界中に抹茶の取引が拡大し、今は26か国、そのうち30か国に及んでいくだろうという。

農薬・化学肥料を一切使用しない農法で管理されている原料の茶葉の栽培から碾茶への加工、そして抹茶への石臼引きまで一貫生産をしている。

抹茶ばかりではなく、今では紅茶やコーヒーにまで拡大し、農園直の取引を行うことで、その農園の茶樹やその畑の水、農家の方と接することによって、その農園の取り組み方がわかるので、品質の良いものをつくっている農園を選ぶ事ができるという。

2018.06.05

高尾山古墳を守る会の受賞

本年度 第19回和島誠一賞を受賞!!

「高尾山古墳を守る会」は団体部門で受賞者として選ばれました。

 和島誠一賞は、2000年5月に設けられた賞です。文化財保存運動の先駆けをなし、また大きな足跡を残した考古学者・故和島誠一氏を記念した文化財保存の賞です。
和島氏は考古学に科学的精神を啓発され、文化財保護思想の普及を広く提起し、また積極的に実践を行ったことが高く評価されています。
文化財保存全国協議会では、このたび和島氏が遺された文化財保護思想の遺産に深く学びながら、21世紀に文化財保護、活用および普及がさらに飛躍的に発展するという期待を込めて、「和島誠一賞」を設け、遺跡保存に顕著な力を果たしている個人と団体を表彰しています。(画像クリック→拡大)

高尾山古墳

https://yamashita.fm/blog/2015/06/6378/
2015年6月議会に補正予算で道路事業費として5100万円が古墳埋蔵文化財発掘調査の費用として計上されていた。
行政側の当初の説明は単なる調査だということで、これは道路を作る為の予算だということだったが、、実はそうではなかった。調査は記録保存の「全面発掘」を名目に古墳を全て削って行く調査だった。削ってしまってから、もし何かが出てきてもそれは後の祭り。上から順番に削っていくので、道路の平面まで壊してしまうことが分かったのだが、その時点ではすでに古墳はなくなる方向で動いていた。
6月議会の補正予算の採決では、予算に賛成21:反対6で、この古墳は調査名目で消えてなくなる運命にあったのだが・・・

写真は補正予算案の採決の様子。
賛成のための議員21人は起立している。賛成多数で古墳調査費は可決したのだが、そのあとで、栗原市長は調査費の一時停止と有識者会議の開催を表明した。
それから事態は大きく方向転換をしていくことになったのだが、その過程において一筋縄ではいかなかった。
市民団体の粘り強い保存運動と歴史学者の磯田道史さんや全国の保存団体が動き、そして国交省が動き、保存の方向に大きく変化をしていくことになっていった。その経緯は後に磯田さんも本に書かれている。

2018.04.10

4/10、日本初の女性議員誕生の日

2016年の参議院選挙から、選挙権を行使できる年齢が18歳に引き下げられました。今では何の疑問もなく女性が投票できるのは当然ですが、かつては、社会の在り方を決める政治の場では、女性の人権は認められていませんでした。
1945年12月17日の衆議院議員選挙法公布により、女性の国政参加が認められ、1946年4月10日、戦後初の衆議院議員選挙の結果、日本初の女性議員39名が誕生しました。
やっと政治や社会的な地位において、男女の機会均等を実現できたのは72年前のことなんです。

沼津市において、今年は市政95年目です。95年目にして初めて私が女性市長候補(予定)だということを知りました。大沼市長の急逝で市長選挙が行われることになり、あれよあれよという間に決断を迫られ2週間後には立候補表明をしました。
今は女性活躍の時代と言われ、制度的には平等が保障されていますが、依然として偏見や差別、いじめがあることも事実です。地方へ行けば行くほど深いものがあるように思います。

未だ私たちを取り巻く枠組みは男性中心の中にいます。それは権力による支配であったり、女性への支配だったりします。
今までのまちづくりにおいても、男性中心の経済効率のもとで、ハコモノや道路などのハード面が中心でした。
しかし、急速な人口減少と少子高齢化によって、介護や子育て、教育、食、環境等など、「命や暮らし」に関わることが社会の重要な課題になってきています。
今までの考え方では無理が生じ、その枠組みを変えようとするには女性の力が必要です。今ほど女性の力が必要とされている時はないと実感しています。
勇気と覚悟をもって声を上げましたが、世間の期待とは裏腹に、組織のない女性たちが市長選挙をするということは想像をはるかに超えた厳しいものです。

しかし、「余計なことをしてくれたな・・・」と罵られたりすると俄然ファイトがわいてきます。
おかしいことをおかしいと言える社会をつくるのは、女性たちが繋がって連携し、声をあげることです。それは次世代の子どもたちのための社会をつくっていくと思うからです。
私の周りにそう思う女性たちが少しずつですが動き始めています。このまちの流れを自分たちがつくっていく、自分がつくり出していく、奇跡は自らが起こすものだとみんなから教えられています.

4月10日の今日、その歴史の重さの中で、私が名乗りを上げることで、いつか次に続く人が出てほしいと願いながら・・・


衆議院では議員定数465人のうち女性議員は47人、190ヵ国中157位。
現役の日本の地方公共団体における女性首長の数は、
都道府県 3人/47人
市区長 20人/814人
町村長 6人/927人
(2018.3.31現在)

出典 女性の首長一覧  https://uub.jp/cpf/female.html

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