山下ふみこオフィシャルブログ
2017.08.23
LGBTへの差別解消に向けて
NPO法人メリメロ 代表理事 岩口さんとお会いしました。
「LGBT」って、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの頭文字をつないだもので、今まで、見えなかった性的マイノリティの存在が可視化され、認知が広がってきていますが、今日お会いして、その現状はまだまだ理解がされていない状況を再認識しました。
LGBTは、全人口の5%だとされています。20人に1人の割合でいるはずなのに、見えない存在とされていることそのものが差別です。誰もがありのままの自分でいられるような環境を整えることは、私たちにとっても差別されることなく暮らしていける社会でもあるわけです。
学校では、周りの理解がなく、いじめられ、追い詰められ、自殺に追い込まれる子どもたちも数多くいます。性的指向や性自認は自分で選ぶことはできません。
LGBTの差別を禁止する法律は、EU加盟国すべてとオーストラリア、米国の一部等の先進国で制定されています。国連でも同様の動きがあり、こうした法律はグローバルスタンダードになっているといいます。
確かに多様性を認める環境づくりは課題を抱える子供たちをはじめ、私たちにとっても必要なことです。
地方自治体によっては、すでに「困難を抱えるLGBTの子どもなどへの差別解消を求める意見書」が出されていたり、教職員向け勉強会も始まっていると聞いています。
http://www.city.bunkyo.lg.jp/var/rev0/0131/1039/201744164453.pdf
文京区職員・教職員のための性 自認及び性的指向に関する対応指針
多様な性を持つ人々が、学校、病院、行政機関、民間事業者から差別されない社会環境を整えていかなければならないと思います。
周辺の自治体でLGBTの質問をしたとき、「なんだ、それは?」という議員が半数はいたと聞きました。まずはそういうことがない前提で、沼津市においても多様性の社会を認めていくことの必要性をみんなで考えていく勉強から始めていきませんか。
少数者の尊厳が重んじられ、多様性が尊重される社会を目指していきたい。
2017.08.17
人命救助 by Koki
恒己が東京消防庁から消防総監感謝状をもらった。
たまたま遊びに行っていた多摩川上流で、8mぐらいの岩場から滑って川に落ちていくのを偶然目にし、そのまま浮いてこなかったので川に飛び込んだという。
そこで、岩場で腕をぶつけたためか骨が出ている状況で泳げないために意識はあったものの川底に沈んでいた男性を見つけ、後ろから抱きかかえ岸まで泳ぎ着いたという。
一歩間違えばと不安にもなるが、無事救出出来て本当に良かった。
本当に人を助ける場に遭遇することもなかなかない中で、彼の勇気あるとっさの判断は大きな人生経験になったことでしょう。(きっと彼は嫌がるでしょうが敢えて掲載しちゃうからね~)
2017.08.13
新幹線駅設置に反対運動?
よく沼津の衰退を取り上げるときの一例として、「新幹線、キリンビールなど行政に対して反対する人がいて、何でもかんでも反対するからこの町は衰退していく・・・高架事業もせっかく補助金が3/4も来るんだから、沼津市の負担は、たった1/4だから・・・」と。
8/8の沼津朝日新聞に「市長と語る会」の8/3席上でもこのような話があったというので、そのことについて今更だが触れておきたい。
8/3 愛鷹地区センターで行われた「市長と語る会」(記事クリック→拡大)
さらに、その発言について記事の下段に以下の説明が掲載されている。↓(記事クリック→拡大)

「新幹線駅設置の反対運動があったのか否か」については議会でも当時の斉藤孝一議員が質問しているので、その議事録の一部を紹介する。
---------2006年11/30 平成18年第15回定例会・議事録の一部-------------------
議員の質問:
私は18年3月の一般会計予算特別委員会の中で、「沼津駅の高架化を実現する市民の会」が発行する機関紙「かけはし」第20号の記述について質問しました。
「過去のビッグプロジェクトの実現寸前の反対運動は、沼津の地盤沈下にかかわる諸問題の原因になっている。」という部分の、過去のビッグプロジェクトとして紹介されている新幹線駅、県立がんセンター、キリンビール工場に対する反対運動の有無についてであります。
このときの答弁で、調査の結果、県立がんセンターについては、反対運動はなかった。
キリンビールについては、西間門の自治会から反対の申し入れがあった。
そこで、改めて調査を依頼しておりましたので、新幹線駅誘致に対する反対運動の有無について、沼津市の調査結果と認識を伺いたいと思います。
沼津駅周辺整備事務局長の答弁:
新幹線駅のその後の調査についてお答えします。
市が調査したところでは、新幹線沼津駅の実現に向けての誘致運動は、昭和30年代から昭和40年代の前半まであったことは、沼津市史等で確認をしております。一方、昭和40年代の前半には、沼津より三島へ新幹線駅を設置すべきだとする地元新聞社の主張があったことも当時の新聞紙面で確認をしております。
しかしながら、新幹線沼津駅の誘致についての反対の有無の資料は見当たりませんでした。
1回目の答弁で、新幹線駅誘致の問題は反対運動があったことが証明できませんでした。昭和40年代の古いことでわからないということですが、はっきり申し上げて、そのことを反対運動はなかったと言うんではないでしょうか。
御存じのとおり沼津を通過する新幹線は、地盤の都合上、根方街道の上の山際を通過しております。もしも沼津に駅を誘致するとしたら、江原公園の上あたりにつくるしかありません。そうした現実を踏まえ議論する際に、それでも誘致したい、あるいはそれでは誘致してもしようがないといった意見が出たことは容易に想像がつきます。どんな事業でも、そのぐらいの議論はあるものではないでしょうか。
私が調べたところによりますと、新幹線が開通した昭和39年当時、新幹線駅は県内を熱海、静岡、浜松間から始まりました。同時期に、折り返しの必要性から電車留置線が検討されていましたが、熱海にはそのための土地がなく、静岡では地価が高い上に回送距離が長くなるため、昭和40年、三島に電車留置線がつくられることになりました。その後、列車の増発に伴い待避線をふやしますが、これでも運行が苦しくなり、結局、三島に駅があった方が在来線とつながっていて、観光客の利便性もより高いという判断から、昭和44年、新幹線三島駅誕生となりました。
このようないきさつを見れば、この判断は当時の国鉄の主体的かつ合理的な判断であり、実現寸前の反対運動によってかなわなかったものではないことは明らかなのであります。ちなみに、石油コンビナートについては、昭和35年に県の計画発表があり、時期を同じくした昭和39年に、反対運動のピークを迎えていることがはっきりと記録が残されています。
-----------------------以上
国からの補助金の安定的な確保、かつて経験したことのない人口減少と高齢化による税収の見通し、借金の返済〈元利償還が示されていない)、老朽化を迎えた公共施設・道路・橋梁・上下水道等の更新問題、地震や温暖化による自然災害の頻発、高齢化による社会保障費の増大等、数え上げればきりがないほどの課題が山積である。
高架事業の財政が大丈夫というのは、人口減少になっても今の税収が確保出来るという仮定、地震津波の災害がないという仮定、国の補助金が毎年要望通り来るという仮定、高齢者が自立した生活をし、介護が増えないという仮定等、全て仮定の上で成り立っている。それも全く根拠のないものである。
根拠のない仮定を並びあげ、「大丈夫、大丈夫」といわれても、市民の懐疑心は深まり、不安は募るばかりである。だからこそ、自己検証ではない第3者機関の検証が必要だと多くの市民は思っているはず。
現実、ごみ焼却施設200億円の事業費が出せない状況である。全国1200施設ぐらいある焼却施設の中でも40年経過した施設を更新していないのは2%ぐらいではないのか。心配はさらに50年経過した老朽化した庁舎は大丈夫なのか。まして浸水域にあり非常電源が地下にある状況は大地震の拠点になりえるのか。
既に退職をした体育館の職員は、自分は死ぬ覚悟で毎日勤めていたと言う。本気でそう思って地震が来たときは市民優先でその下敷きになると。笑い話ではない本当の話である。建て替えするまで地震が来ないことを祈るしかなく、それは今も続いている・・・