山下ふみこオフィシャルブログ

2017.02.18

世界一元気な沼津は鉄道高架が有効

2/17から始まった本会議は傍聴席いっぱいの市民で埋まった。10:00~始まるが、すでに9:00頃には傍聴券が配布され順番を待つ市民の姿もあった。
初日は大沼市長の29年度・施政方針を演説した。先の記者会見でわかっていたわけだが、公約とは全く違う「鉄道高架事業等は世界一元気な沼津の実現に極めて有効な事業」であると決断した理由を聞きたいと居ても立ってもいられず、会社を休んでここに来たという会社員の方もいた。

公約で市民と約束をした検証委員会をせずに「経済界の方を含む関係者との意見交換により、有効な事業であると認識をした。今後は市民の理解を得ていく」と説明した。
昨年の所信表明では、「専門家による検証をし、市民と議論を進める」と言ったにもかかわらず、今回、私は決断したから市民は事後承諾してということか。
これでは選挙で当選することが目的だったと言われても仕方がない。(新聞をクリック→拡大)

市長217夕刊静岡
市長静岡新聞218

2017.02.11

世界一元気な沼津は鉄道高架がいいって?

2/9、大沼市長は記者会見で「今のところ沼津が元気になるためには鉄道高架が必要だと考えている」と述べた。
本当に必要だと180度考えが変わった裏には何があったのか知る由もないが、本心から今の沼津市には必要だと考えての発言だとしても、できるかどうかは別の問題。
高架が沼津市にとってどうして必要なのか、そこには全く触れていないが、きっと市長はそう思ったのだろう。しかし、「高架は必要とは言うもののできるかどうかそれが問題」。だから、専門家による検証委員会が必要だと考えたのではなかったのか。
この沼津市の停滞を招いているのは、高架ができればこの停滞が解消できると思う思考停止が、この町を停滞させてきたんではないか。
市民が大沼氏に投票をした43159票の思いを、専門的な検証をせずに高架が必要だという市長のコメントをどう受け止めるのか。そんなことが許されるはずがない。

市長の真意を問いただす議会が3/6(月)~3/8(水)代表質問・一般質問が始まる。
私の予定:3/6(月)10:00~

市長は当然だが、現市長を押した私の責任も問われます。そこはしっかり議会で質していくしかないでしょう。
★★ 中学生から来たメール ★★

 有言実行で市民ファーストの大沼市長が言った事と違うことをするなんておかしいと思います。 テレビでしっかり市民の意見を取り入れて検証をしてから決めると仰っていたのに… このニュースを同級生や家族は、高架をする議員や県知事に圧力かけられたのではないのか?
それより学校にエアコンをつけるお金にまわしてほしいという話もしてました。
 選挙の時に賛成派も反対派も味方につける為に言ったことなのかな?と思ってしまいます。」

「個人的には高架化する事によって沼津を世界一元気に出来るとは思いません。 高架の下にお店を出店させるという話を聞いたことがあるのですが、騒音で大変だと思いますし、もっとシャッター通りになってしまう可能性があると思います。 そしてお客さんを取られ商店街がもっと駄目になっていくと思います。」

約束したこととやることが違えば、嘘を言ったと普通の感覚なら思います。市長ならなおさらのこと公約違反ではないでしょうか。
「信じてほしい」と言われたようですが、何を信じればいいのか。
公人として発したことにすべて説明責任を問われます。しかし、これまでの一連の状況を見るとその認識があるとは思えません。
本当に残念です。

2017.02.05

井田の塩づくり&菜の花まつり

2/5は井田の菜の花まつり。
すごーく有名なこの写真の風景だが、祭りにはなかなか行けずにいた。
今回は私の大好きな華ちゃんが、井田塩を使ってパンを作りたいというので彼女の思いを叶えてあげたいというか、その塩パンを1日も早く食べてみたいという下心もあって、念願の井田へ仲間と行く。

井田の集落に入るには、この桜並木の道を通るのだが、すでに河津桜は五分咲きになっていた。

写真は井田の奥田さん。今回の訪問は井田塩を買うこともそうなのだが、塩づくりを民間会社と一緒にやることになったということを聞いて、その真相をちゃんと本人に確かめたかった。

改めて、井田の塩づくりのことに触れておきたいと思う。
井田は
40世帯で人口80人ぐらいの小さな集落。沼津から車で1時間余り。海岸線を走り続けて山中に入り、県道17号線からわき道に降りた処にある。
今日はすでに道の両脇には河津桜が五分咲きである。

親戚でもある奥田さんが「村おこし」をしようと思って始めた井田の塩づくり。

その手法は1500年前にさかのぼるという。安康天皇が詠まれた歌の中に、「かく山の麓の塩のくすりにて井田ともいふぞ内裏から名に」とあるように、かつてはこの地の塩が皇室に献上され、病を癒したといわれている。

当時、ここも人口流出と高齢化が進み、民宿も昔とは違い、過疎化は進む一方であった。
そこで、何とかこの村のために、安定的な生活の糧になる仕事がないかと文献等を調べ、1500年前の塩づくりを発見した。
そこで、村の人たちに呼びかけ賛同してくれたものの、いざ始めようとすると過酷な労働ということもあったのだろうか、結局、奥田さん一人で掘っ立て小屋を建て釜
1台で始めることになった。 
確かに、その文献による塩づくりは、大変な重労働で手間暇がかかる。釜は鉄板が0.5ミリの薄さで焚き上げなければ目指す塩にはならず、その薄さゆえに釜は1.5ヵ月しかもたず、交換しなければならない。早朝から海水500リットルを海からくみ上げ、薪で13時間以上焚き上げる工程は聞くだけでも過酷そうです。
確かに時間もかかり、効率も悪く、釜交換にも経費がかさみ、
さらにその作業に取り掛かかれば、火加減調整もあってほとんどかかりっきりになる。特に夏の暑い時期は締め切っている作業場は過酷以外の何物でもなかったと思う
こうして出来上がった塩は東京の一流料理屋から視察があり注文が来るまでになっている。
売り込みから販売まですべて一手にやり、その合間には民宿や農業、ミカンもやるわけで、本当に頑張ってきたのだと思うと、いつも新米の時期にはお裾分けしてもらっている我が家は感謝が足りなかったと反省する。
(下の写真は新しく建てた塩づくり作業場)

ここまで奥田さんを駆り立てたものは何だったんだろうか。
彼は何も言わないけど、何とかこの井田の良さをみんなに知ってもらいたい、ずっとこの村に住み続けるには、「俺が頑張らなくて誰が頑張るんだ」という想いがあるのだと思う。彼は昔気質だけれど、進取の気性に富み、常にチャレンジャーだったから、きっと村では特異な存在だったかもしれない。でも彼は常に井田のこと、戸田のこと、そして次の世代のことを考え続けている。
そんな彼が、とうとう今年から民間会社と連携していくことになったという。
体力的にも大変になってきたのがきっかけだったのかもしれないが、民宿もやめてこれからは塩づくりに専念していける環境になり、さらに「いい塩づくり」を目指すという。
今日の祭りでも、奥田さん一家の若い人たちが頑張っていたし、こうして確実にその塩づくりが若い人たちに繋がっていっている様子が見てとれた。

私は常々言っているのだが、神々しい不思議な力があるところです。この井田にある唯一の妙田寺。ここにお釈迦様の舎利が祀られているのはご存じだろうか。さらに運慶の作品とも言い伝えられている仏像もある。
この話はまたの続きとしよう。是非、井田に行ったときは奥田さんと寺の和尚様を訪ねるといいでしょう。

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