山下ふみこオフィシャルブログ

2024.10.28

救急医療センターの使途不明金2.6億円の責任 NO6

沼津市の責務

Q:住民の信頼を失墜させた今回の事件、説明責任を果たすべき市長や副市長は対策協会の理事や監事でもある。沼津市には委託者(指定管理を対策協会に委託している)の責任があり、市長は二重の責任を負っているが、その責任を明らかにしない姿勢を市民は理解するのか?
A:警察の捜査を見て、全容が分かった段階でないと3市3町の住民に説明ができない。まずは警察の捜査に全面的に協力をするのが私どもの考え。

最後にやっと市長答弁をもらう今回の件は大変重いと我々自身もとらえている警察の捜査はこれ以上重いものはないので、全面的に協力をし、3市3町で連携し対応を練っていく。これが市民に対しての説明責任である。

「我々自身も」とは一体誰の事なのか?

私の意見:住民の信頼あってこその夜間救急医療センターであり、公益法人は税制優遇を受けている。センターは沼津市が設置したものであり、住民から託された財産である。
沼津市の責任の在り方を問う
●この事件は2市3町と協議をする事は必要だが、まずは沼津市(市長)としての責任を市民に明らかにすべきではなかったのか。警察捜査の進捗をみてからでないと説明できないというものでもない。
●公益財団法人で理事には各市町の首長や議長、監事が副市長だからと丸投げにしていた管理体制。
●医師不足の中、運営自体を引き受ける団体が難しい状況下にあり、チェック体制の不十分さ
●指定管理者の外部監査制度がなかった

沼津市の2市3町に対する運営責任と指定管理者として委託をした沼津市の責任について追及したにもかかわらず、答弁は終始他人事にしか聞こえなかった。2億6千万円の市民の金の行方を16年間分からなかった、横領した職員の隠し口座だったからだけでは済まされない事件であるにも拘らず、沼津市の責任について一切答弁はなかった。負うべき責任を明らかにしない姿勢を市民は納得してくれていると思っているのでしょうか!

↓令和5年度決算で救急医療センターの認定をするにあたり議会は附帯決議で以下の指摘をした。

使途不明金議員発議

2024.10.28

駒形克己遺作展 by 市立図書館その1

駒形克己遺作展-表
駒形克己遺作展-裏

3/29 同級生の駒形 克己さん(こまがた・かつみ=造本作家、デザイナー)誤嚥(ごえん)性肺炎のため東京都世田谷区の自宅で死去と報道で知りました。

世界的なデザイナーとして有名だった駒形君は、私たち大岡小、大岡中の同級生でした。高校は県立沼津工業高校です。中学校では生徒会長、バレー部のキャプテンも務めていて、どちらかと言うとスポーツ系の屈託のない優しい彼は、「駒ちゃん、駒ちゃん」と親しまれ、何か事が起きるたびに「駒ちゃーん」と呼ばれ仲裁に入り、彼だけが叱られ役だったような気がします。その人懐っこい笑顔は今も鮮明に蘇ってきます。中学の時には、おっとりしたコミュニケーションが取りにくいH君といつも一緒でした。

その駒ちゃんがニューヨークに行き、向こうで苦労した話など、成功してから聞きました。どんなに世界的に有名になっても彼は昔のままでした。

その彼の訃報を聞き、今、同級生たちが、彼の遺作展の開催に奔走しています。駒ちゃんの娘さんが彼の意思を継いで、「ONE STROKE」という会社が協力をして下さいます。

彼の原点でもある大岡中学校に行って、学校の協力も得ることができました。どうぞ、この世界的に有名な絵本作家だった彼の遺作展に足を運んでください。

正義感のある普通の男の子がニューヨークに行って孤軍奮闘し、それから長女が誕生し、彼の作品に大きな影響を与えたこと。そして、今彼の残した作品を後輩の皆さんに見ていただきたいと同級生が奔走していること。
何か繋がっているご縁を感じています。このチラシを気持ちよく引き受けて下さった多くの皆さんの協力に感謝します。

amashita-fm.jp/blog/2021/08/7028/

世界的に活躍している造本作家/デザイナーの駒形克己さんは沼津市大岡に生まれたやんちゃな同級生だった。彼の初期から現在に至るまでのデザイン展が3/68/31まで開催されている。ニューヨークでデザイナーとして活躍し、1983年に帰国。

 1989年長女が誕生した以降、多数の絵本を出版。1990年後半以降は、ワークショップ活動や、視覚障がい、聴覚障がいのある人に向けた絵本づくりなど、少数の人達に向き合う取り組みにも力を注いでいる。ニューヨーク近代美術館のミュージアムショップでの発売を機に世界的な活躍をしている。

 2012年急性白血病を発病し、骨髄移植を受け復帰。

2016年、ボローニャ国際児童図書展にて、RAGAZZI SPECIAL MENTION AWARDを受賞

 

2024.10.28

高尾山古墳が国指定史跡へ②

10/11には正式に高尾山古墳が正式に国指定史跡に指定され、その経過や今後の活用について、地元の沼津朝日新聞に掲載されましたので報告します。この高尾山古墳は当初は、古墳調査のために削られ、なくなってしまう運命にありました。その調査費が議会に上程された直後に、当時の栗原市長が白紙撤回をしました。
その水面下には市民及び全国の方々をはじめ、歴史学者、文化人、報道関係者、役人など多くの方々の動きがありました。地元紙では沼津朝日新聞が最も詳細にこの歴史的な古墳についての報道がなされていました。

高尾山古墳沼朝20241028_16025840

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