山下ふみこオフィシャルブログ

まちづくり

2016.09.04

第1回登山ツアーby香貫山影奉仕

香貫山影奉仕が毎月行っている清掃活動として、山道整備、下草・枯枝伐採、公園樹木整備、駐車場の整備拡張、トイレ清掃、不法投棄ごみの対策、樹木の再生など、山に登ってくる人たちに少しでも快適に感じてもらえるようにボランティアで整備を続けている。
また、仲間の一部が香陵台の茶屋を活用して、写真展の開催をしたり、緊急時の連絡ネット網も自然発生的に出来上がり、何かあったときは役所や警察にも連絡を取る体制もできている。

今回は沼津市のまちづくりファンド事業の一環として、「第1回香貫山登山ツアー」に参加。

この日も暑い暑い中、香貫山周辺のこんな身近に、興味深い歴史があったんだという参加者の声が多くあった。
地域の再発見と、香貫山の再認識につながっていく事で、今の香貫山の活動の参加者を確保し、今後、森づくりの専門家を講師に招き、「市民協働の里山づくり」を進めるための研修等を開催していきたいという。

2016.01.12

なないろの風・掛川に集合NO1

1/11掛川駅前に県内女性議員のグループ「なないろの風」が集合。駅から向かった先は、まず希望の丘。市立総合病院の跡地8haには医療・保健・福祉・介護・教育に関する施設が集合し「命」を育む拠点となる。昨年4/1「健康・子育て日本一」への新たな幕開けとして「希望の丘」が誕生した。

このエリアは、医療や福祉、子育ての施設が連携し合い、住み慣れた地域で最後まで暮らしていけるための体制整備を目指している。施設整備のハード面だけではなく、市内の各施設ともリンクし、さらには、市民との協働による機能向上にも繋がっている。

そこの一つに生活介護事業所「ぴのほーぷ」がある。医療的ケアが必要な人を含む重症心身障害のある人が日中に通う通所施設。床暖房で極力部屋の乾燥を防ぐようになっていたり、外からの採光、トイレ・お風呂も、利用者はもちろん介護する方にとっても、快適で負担を少なくする配慮が細かい処にまで考慮されている。
例えば、トイレは3種類あり、寝たままで出来るものもあり、高さはベッドからそのまま移動できるようになっている。

希望の丘ができたことで、地域医療の中核を担う中東遠総合医療センターと市内5カ所の地域医療支援センター「ふくしあ」と合わせ、市内全域に支援の手が届くようになり、地域包括ケアシステムの視点を取り入れた全国でも先駆的な地域完結型総合支援体制が整った。官・民・地域による協働のモデルゾーンとなっている。
医療・保健・福祉・介護・教育のゾーンとして、地域包括ケアシステム「掛川版・コンパクトシティ」が、この希望の丘から始まっている。(下記の図をクリック」

2015.07.11

第1弾・高尾山古墳を知ろう!静大・篠原教授

「歴史と文化を大切にしたまちづくり」の第1弾を7/11開催。
参加者は200名余。スタッフを入れると220名以上の参加者となった。
その多くはもちろん沼津市民ですが、西は富士市、静岡市、牧之原市、東は横浜市、千葉市~の参加者もいて、ネットや新聞で知り来て下さったようです。

静大・考古学の篠原和大教授の「高尾山古墳が語るもの」
1・高尾山古墳はどんな古墳か
2・高尾山古墳が造られたのはどのような時代か
3・高尾山古墳にはどのような価値があるのか―なぜ保存なのか

私たちが最も注目したいのは、邪馬台国・卑弥呼と高尾山古墳の王との関係である。
先生の話の中では、「倭人伝の中では卑弥呼と狗奴国の抗争が記される。大和を中心とした地域を邪馬台国の国々、狗奴国を濃尾平野の勢力と考える人が多い。東日本の地域が狗奴国とのかかわりが深いとみると高尾山古墳の主は、卑弥呼の対抗勢力であったという見方になる。一方、こうした大型古墳の築造が後の大和主権を築いていく大和中枢部との関わりになるとみるならば、むしろそうした先進的な拠点を形成したものとみることになる。」
「確かに、卑弥呼と同年代に活躍し、同じ頃に亡くなって埋葬されたわけである。だからこそ、その活躍時期において二人は接点を持った可能性は高い」と説明。

歴史学者の磯田先生は、≪魏志倭人伝に「女王卑弥呼、狗奴国の男王卑弥呼子(ひみここ)ともより和せず」とある。卑弥呼と戦っていたのが、この卑弥呼子の古墳の可能性も否定できない」ともいっている。

最後に篠原先生は
「日本列島の政治的な社会の成り立ちを知る上で極めて重要な遺跡。残せば,恐らく史跡として活用公開され、未来にわたってその価値は繰り返し高まるだろう」
と。

最後に高尾山古墳を守る会の代表・杉山さんの挨拶
「この高尾山古墳を守り、保存に向けての活動は今やっと始まったばかりです。多くの人から頑張ってという声をもらうが、私たちが頑張るのではなく、皆さん一人一人が声を出し、行動しなければこの高尾山古墳を守ることはできません。署名活動は皆さん一人一人の声を表明するものです。是非一緒に行動をしていきましょう・・・」

今日から署名活動が始まりました。よろしくお願いします。

2015.05.29

視察 in 沼津

選挙後、新会派と言うより、4人から3人に減ってしまった私たち「未来の風」。5/27午後から27年度以前から継続している事業の進捗、そして新たな事業計画の現地等を視察する。

まず最初に駿河湾沼津SAスマートインターおよびアクセス道路の進捗状況をみる。スマートインターからのアクセス道路は東名高速道路に橋梁をかける工事が始まっている。(橋梁だけで4.4憶円)

内陸フロンティア推進区域計画のある足高地内。ちょうど元静岡厚生年金休暇センター(ウェルサンピア)を北上したところに、微生物科学研究所の北側に9.8haの広大な原野がある。
民間事業者による、自然環境を活かした畑や農園、ファーマーズマーケット等が一体となった120戸の分譲住宅地の造成計画がある。
28年度~造成工事が始まり、29年度には分譲開始予定であるらしい。周辺は市街化調整区域なわけだが、この部分だけ既に市街化区域になっている。
ここから1kmぐらいしか離れていないところに東名高速道路のスマートインターができるわけだから、その利便性は格段に上がる。都内から週末は家庭菜園をするために来ようと思えば、1時間できてしまえる距離になる。丁度このスマートインターの計画に合わせたかのような分譲計画である。

ウェルサンピアから南に下りてきて交差点を西に曲がると、すぐに愛鷹PAスマートインターになる。丁度北側の側道の工事現場。道路建設課の方々の案内で、多くの職員に時間を割いていただき恐縮しながらの視察である。この後、南にさらに下り、金岡浮島線の工事現場とららぽーと施設計画の現場に向かう。

ららぽーと進出予定地は赤で囲まれた約12.1haの敷地である。その周辺50haの青で囲まれた市街化調整区域を市街化区域に編入する計画の下に進められている。
丁度愛鷹スマートICから真っすぐ南下するところに位置している。しかし、そのアクセス道路は住宅地の中にあり、今までの住民のための生活道路が一変するので、その安全性や国1等の交通渋滞の問題やインフラ整備も含めて課題は山積している。

最後の視察場所は平成8年から進められている岡宮北土地区画整理事業(東駿河湾広域都市計画事業)である。東名沼津インターに近く、住宅供給地として、また都市計画道路・沼津南一色線&三枚橋岡宮線&平町岡一色線の道路網の整備と一体となった宅地造成である。
計画では平成35年度の完成であり、事業費ベースで60%の進捗率。総事業費は275億円と言う莫大な事業費である。しかし、当初計画された事業費では、現在の資材高騰や労務単価の値上げ、また20年前の区画整理事業と時代は大きく変化している中で、今後この事業の費用や期間の延伸も含めて、その困難が予想される。
しかし、4年前の東日本大震災以降、津波に影響のないこの地域は、安全・安心の定住人口の増加に大きく貢献しているという。
最後に、私たちの視察に時間を割いていただいた関係者の皆様に心から感謝申し上げます。

2015.05.29

周辺地域からの疎外感・孤立感の沼津

今朝5/29の沼津朝日新聞に「大海祥」さんの投稿(記事をクリック→拡大)がありました。以前、私の友人が「町を南北に分断する東海道線を高架化にすることは、町の中心に万里の長城がそそりたつ事になりますね」と。さらに「すでに伊豆の玄関口は三島ですからね」とも言われました。
そんな友の言葉に追い打ちをかけるように、大海さんは沼津市が孤立していく状況の中でその打開策が無いので、「鉄道高架大明神」にすがる心理に陥っているのは分かると言っています。
あなたはどう思われますか?

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