山下ふみこオフィシャルブログ
仕事
2016.02.01
地方議員と国政策研究会 in東京
2/1参議院議員会館で、全国のから集まった地方議員と国の職員による研修会があった。
2月議会を前に、この研修会は国の方針や施策を知ることは、地方の自治体に大きな影響を与えるので、この研修会は絶対見逃すことができない。
この研究会では、朝10時~5時までハードスケジュールの中、みっちり勉強をさせてもらう。
午前中は「子どもの貧困」子どもの貧困対策の推進を内閣府政策統括官の説明と質疑応答。
それから首都大学東京・阿部彩教授の「子どもの貧困問題と政策」
子どもの貧困問題と政策は、個々の支援ではなかなか解消にはつながらず、やはり「公」としての自治体が教育委員会や福祉関係、または納税や国保も含めた各所管が一体的になって取り組むことが必要であると。
「子どもの貧困対策に関する大綱」に掲げられた重点施策として、教育の支援・生活の支援・保護者に対する就労支援・経済支援が挙げられている。
昨年「生活困窮者自立支援制度」が整備され、自立相談支援、児童福祉関係、教育委員会等の関係機関が連携してネットワークを構築。生活の支援や教育の支援に取り組む体制が始まっている。
具体的には就労支援や学習支援には各自治体はNPO団体や社協等に業務委託をしている。しかし、一体的な取り組みにはなっていない処が多いのではないだろうか。
午後からは、地方財政計画。総務省職員による説明があり、その後、質疑応答では国の施策によって地方が振り回されている状況等の意見が活発に交わされる。
地方自治体の施政方針は、国の政策が基になっている。国の「地方財政の見通しや予算編成上の留意点」を知っておくことが、自分たちの自治体の予算編成に大きく関わっているので非常に重要である
これから2月議会の28年度予算の大事な議会が始まるが、この時期に、国の28年度の地方財政計画を勉強することは必須である。
今回も大きな問題点がいくつか上がる。明日も東京で勉強会がある。
2016.01.30
静岡県産業振興財団って知っていますか? NO2
先月、静岡市にある産業振興財団へデザイン開発の相談へ行き、そこで企業のニーズによって色々の相談にのってくれることが分かる。
そこで1/29に静岡から視察に来て下さることになる。
かつて、富士市は製紙工業の町で、原町は繊維産業(服飾雑貨)が盛んであったという。
昭和20年代までは国内での産業であったが、20年代後半からはプリント技術が優勢になり、昭和30年代から20年間は海外への輸出が専門であり、隆盛を誇っていた時期もあったという。しかし、当時は東部地域で80社ほどあった服飾雑貨の繊維産業は今では20社にまで縮小されてしまったという。
今回の相談は今治タオルに負けないオンリーワンの製品ができないものか、かつての地域の花形産業としてのブランドづくりを試みようとしている。
この会社の加工技術は素晴らしく、昭和20年代のミシンがいまだに健在であり、ここでしかできない技術がある。しかも、50年以上携わっている方もいて、機械以上に精密に綺麗に縫い上げる技術を持っている。
しかし、技術を持っていても、結局メーカーの下請けで終始している現状では、仕事は忙しくてもなかなか厳しい経営状況にならざる得ない。
オンリーワンの製品を作りたいとは言え、、デザイナーも営業マンもいない中で、どうやってオリジナルのものを創り上げ、どうやって販路を見いだすのか、一小企業では大変難しいのが現実である。
今回、その想いに少しでもその可能性があるのかどうかも含めて、企業訪問をしていただくことになった。
いくら素晴らしい技術を持っていても、商社にたたかれて安くせざる得ない状況では、オリジナルな技術も生かせないまま、技術の継承者もいなくなってしまう危機感を持つ。何とか、その技術を活かしたオンリーワンの製品で地域ブランドしての販路拡大に結び付けることができないものか、一企業ではできないことも、他の企業とマッチングすればさらに可能性が広がっていくこともあるわけで、そいう意味では、この産業振興財団の持つあらゆるノウハウを県内企業が自社のために使わない手はないわけで、今回の訪問に大きな期待を寄せている。
2016.01.28
比叡山坂本 律院
1月25日~27日まで大津市の唐崎にあるJAIMで議員研修を受け、その最終日に知り合いの勧めで比叡山延暦寺に急遽行くことにした。唐崎駅から一駅のところにある比叡山だが、私はそのことも知らなかった。
JAIMの研修は毎回余裕がないほどカリキュラムが詰まっているので、終わった時はへとへとになり早く帰りたいのが先に立つ。
今回、勧められたのは延暦寺の麓にある律院さんを訪ねるようにと言われた。そこに着いた途端、多くの出会いが待っていた。あれよあれよと言う間に、私は宿坊に泊まることになる。
律院の門をくぐると、すぐに阿闍梨様に会うように段取りがされていた。延暦寺に足を踏み入れたことがない私は、まずは延暦寺に行きたいと阿闍梨様に言うと、「おーい、おーい」と小坊主さんをお呼びになって、私をお連れしなさいという。
そこに、「延暦寺に行くのなら、私が丁度そちらに行くので、車でお連れしましょう」と言って下さる方がいて、その方とご一緒することにした。
その方は千日回峰行に入っている浩元様にお米を届けに行くという。
延暦寺は雪深く、千日回峰行をなされている浩元さんの住まいはもっと雪深い処でした。「滅多にないことだから一緒に行きますか?」と誘って下さったので一緒に行くことにした。ブーツの私は雪の山道を滑らないように慎重に歩きながら40分間位歩いたでしょうか。
住まいはシーンと静まり返って、表札らしきものと苦行を共にした草履が軒先にかけられて・・・ただ犬がわんわん吠えたてていただけで人の気配はありませんでした。普段はほとんど一人で生活しているようです。
千日回峰行がどれだけ過酷なものなのか、以前テレビでその様子を見たきりだったのですが・・・
浩元さんは千日回峰行のちょうど5年目が終わり、9日間の堂入り(断食・断水・不眠・不臥)が終わったところで、今年から1日60kmの行程を100日間の苦行に入られるということです。
★★千日回峰行は7年間かけて行なわれる★★
1年目から3年目までは、1日に約30キロの行程を毎年100日間。行者は定められた260カ所以上のすべてで立ち止まり、礼拝して、峰々を巡ります。
4年目と5年目は、同じく1日30キロを、それぞれ200日間。
ここまでの700日を満じると、“堂入り”をむかえます。比叡山無動寺谷の明王堂に籠もり、9日間、断食・断水・不眠・不臥(食べず、飲まず、眠らず、横にならず)で不動真言を唱えつづけます。その回数は10万と言われ、満行すると阿闍梨と称され、生身の不動明王になるとされます。
6年目は、それまでの行程に加え、比叡山から雲母坂を下って赤山禅院へ至り、赤山大明神に花を供し、ふたたび比叡山へと上る往復が加わり、1日約60キロとなります。その100日は「赤山苦行」とも呼ばれ、行者の足でも14~15時間を要する厳しい行程です。
7年目は、200日を巡ります。前半の100日間は“京都大廻り”と呼ばれ、比叡山中から赤山禅院、さらに京都市内を巡礼し、全行程は84キロにもおよびます。最後の100日間は、もとどおり比叡山中30キロをめぐり、千日の満行をむかえます。
次の日は不動明王様の今年最初のお護摩焚きがあるので、是非にと勧められ、結局この日は宿坊に泊まることにして夕食の精進料理を頂き、明日6時から始まるお護摩焚きに出ることにした。
2016.01.22
静岡県産業振興財団へ行く NO1
静岡県が100%出資の外郭団体の公益財団法人「静岡県産業振興財団」を訪ねる。ここは創業支援、経営支援、技術研究開発等の静岡県内中小企業の総合的な支援機関です。
今回、この財団に伺ったのは、ある会社の企業訪問をした時に、そこの技術に大変興味をもったことが発端である。会社の方も、下請けばかりではなく、何とか自社ブランドの製品を立上げたいと思っていたところです。
そこで、今回、私自身の勉強も含めて、何とか売れるオンリーワンの商品開発ができないものか、また売れる仕組み作りにも相談に乗ってもらえるのか等、率直に色々お話を伺うことができた。
本当にお世話になりました。
例えば、ある企業はスキルがあっても商品開発や販路開拓が分からない場合、どうしたらいいのか。
その事業の実現まで、ワンストップサービスでこれから取り組もうとする事業の支援が適当かどうかも含めてアドバイスをしてくれる。
また、多くの事例やネットワークを駆使し、事業者同士のマッチングも県内に限らず、広域的な視野に基づいて考えてくれるようなので、より可能性は広がっていく。
また地域活性化基金もあり、研究開発等に要する費用は補助するようで、またその時々で色々の助成金もある。
地元の商工会もそうだが、ここのように広域的な情報を持っているところで、親身に相談に乗ってくれるスタッフがいるので、安心して率直に質問もできる。
下の写真のグループは6つのセクションに分かれているが、一貫したサポート体制があるようなので、この支援機関を気軽に利用したらどうだろうか。
財団の訪問が終了し、次に向かったのは、静岡県中小企業診断士協会が取り組んだ事例発表である。企業の経営改善をお手伝いしてきた診断士によるもの。とても興味深く、企業診断士の役割が理解できた良い機会になった。
次回は1/27沼津で14:00~16:00 大手町のさんさんホール2Fである。
2016.01.12
なないろの風・掛川に集合NO1
1/11掛川駅前に県内女性議員のグループ「なないろの風」が集合。駅から向かった先は、まず希望の丘。市立総合病院の跡地8haには医療・保健・福祉・介護・教育に関する施設が集合し「命」を育む拠点となる。昨年4/1「健康・子育て日本一」への新たな幕開けとして「希望の丘」が誕生した。
このエリアは、医療や福祉、子育ての施設が連携し合い、住み慣れた地域で最後まで暮らしていけるための体制整備を目指している。施設整備のハード面だけではなく、市内の各施設ともリンクし、さらには、市民との協働による機能向上にも繋がっている。
そこの一つに生活介護事業所「ぴのほーぷ」がある。医療的ケアが必要な人を含む重症心身障害のある人が日中に通う通所施設。床暖房で極力部屋の乾燥を防ぐようになっていたり、外からの採光、トイレ・お風呂も、利用者はもちろん介護する方にとっても、快適で負担を少なくする配慮が細かい処にまで考慮されている。
例えば、トイレは3種類あり、寝たままで出来るものもあり、高さはベッドからそのまま移動できるようになっている。
希望の丘ができたことで、地域医療の中核を担う中東遠総合医療センターと市内5カ所の地域医療支援センター「ふくしあ」と合わせ、市内全域に支援の手が届くようになり、地域包括ケアシステムの視点を取り入れた全国でも先駆的な地域完結型総合支援体制が整った。官・民・地域による協働のモデルゾーンとなっている。
医療・保健・福祉・介護・教育のゾーンとして、地域包括ケアシステム「掛川版・コンパクトシティ」が、この希望の丘から始まっている。(下記の図をクリック」