山下ふみこオフィシャルブログ
香貫山
2021.04.11
第136回香貫山影奉仕の活動
先月は雨のため香貫山の清掃活動は中止となり、4月10日(第2土曜日9:00~)136回目の清掃活動です。
その数日前にバイクの不法投棄があり、山の仲間から一報が入り、最寄りの交番へ行ってもらった。そして警察が現場に直行してくれて撤去したバイクは3年前の盗難車という事のようです。
最近は登山道を走るトレイルラン等によって傷んだ山道の修復が増えてきているようで、それも悩ましいことでもある。
スポーツを楽しむ人も山に登る人たちも清掃活動中に会っても挨拶をしない人たちの何と多いことか。これもコロナ禍のせいだといってしまえばそれまでだが・・・


側溝の中に溜まっている落葉や汚泥等の撤去をするために、まずはボルトで固定しているふたを開けるにも自前の道具を用意してくれている。側溝の中もすっかりきれいに。



倒れていたままになっていた石灯篭も修復。いつの時代の石灯篭なのか・・・すっかり石灯篭らしくなって後光がさした。



香貫山影奉仕の活動は月に1回だが、メンバーたちは其々が日々、登山道の整備で階段等の修復、希少植物の保護、草花の植栽など自分たちに合った活動を其々が続けてくれている。
日々山の隅々まで知っているから、この山で何かが起きたときは、必ず誰かが気付いて警察や農林農地課や緑地公園課にも情報がいっていると思うし、要望もいっていると思っていたが最近様子がちょっと違ってきている。
行政は、山の整備をするにしても遊具の更新をするにしても、せっかく香貫山のことを理解してくれている人たちに何故聞こうとしないんだろうか?という諦めの声が聞こえてきている。
最近もあったのだが、何の周知もないまま、突然桜の開花前に樹木の伐採をし市民の怒りをかった。道路にはみ出た樹木を片っ端から伐採をし、その犠牲になったのが、開花前の桜の木々たちの何と多かったことか。
市民の意向も聞かずに市民のための整備(緊急時に車の侵入に支障をきたす)だとやったのだろうが、残念ながら市民は自分たちのための整備だと思っていない。(その2週間後に市民マラソンのルートが香貫山だった)
今回のことに限らず、香貫山の整備一つとっても市民は「なぜ俺たちがその場にいても、役所の職員は業者と話し合うだけで俺たちの存在に気が付かないのだろう、きっと素人の意見をきくのは面倒くさいのだろうか、意見を求めるってことをしないんだよなぁ。
少ない予算でやっていくには、どうしたって十分な整備ができないことは俺らだってわかっているから、あれもこれもやってくれなんて言わないよ。だからこそ、必要最小限の整備を有効にやるには、どうしたって市民(現場の当事者)の理解を求め優先順位を考えるのは役所の仕事だろっ。結局俺らの税金で仕事するんだから、おらっちの声をちゃんと聞いてくれって・・・」と。
そういう市民の声を届けていくのも議員の仕事だと痛感しているのだが、なかなかそうならないことに力不足を感じている。 ↓伐採作業の看板も今もそのまま残っているのだが・・・


2021.04.05
香貫山の桜その2
すでに多くの桜は散ってしまい、数日前のあでやかな満開の桜の競演はすっかり影をひそめ、今は道端に散った桜の花びらの数だけがその面影を残すだけになってしまいました。
でも、さらに4月中旬頃に開花予定の桜たちが見ごろになってきています。桜は会うタイミングで色々な姿を見せてくれます。だからこそ、会うたびに感動をもらいます。香貫山って改めて面白いって思います。
「手弱女」は名前の通り優しくしなやかな女性を連想させる桜だといわれています。やっと見ごろになってきています。








関山:奈良時代に始まる大和朝廷から、平安・鎌倉・室町時代の中央集権が始まると、日本の各地から都へ貢ぎ物と共にいろいろなサクラの種類が集まることになり、そこでサクラが自然の交雑によって多様な雑種による品種が生じたとされています。同時に当時の人々は、積極的な交雑法やつぎ木技術を開発し、それらの品種が600年後の今日まで受け継がれたことになります。
このような例は世界のどこの国にも類を見ないといわれています。ちなみに奈良時代より伝わる古い品種には奈良の八重桜、関山、普賢象などがあげられます。



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2021.04.01
香貫山の桜
香貫山の桜が満開を過ぎ、一昨日からはおびただしい桜吹雪の競演が始まっている。
蕾の時の可憐さが、競うように満開になって、そして今はまるで蝶々が舞うように桜吹雪で路面がまるで桜色の絨毯を敷いたようになっている。改めて、香貫山の桜の品種の何と多いこと。実際に桜の名所の8割はソメイヨシノだが、自生種9種をはじめ変種、交配種を合わせると600以上の種類があるという。
香貫山の数十種の桜が日を追って徐々に満開になっていく。一斉に咲いて一斉に散っていくのではなくて、其々が日を追うごとに主役になっていく。そのたびに白が主体だったり、淡い桃色が主体だったり、それは日を追うごとに変わっていく。これから満開になっていく手弱女(たおやめ)、御衣黄(ぎょいこう)、鬱金(うこん)、松月(しょうげつ)、妹背(いもせ)など、まだまだ香貫山の桜から目が離せない。
樹名板が古くなってきているため、その多くが壊れていたり、樹名が読み取れないものなどがあり何とかしたいと思い始めている。












2021.03.20
香貫山の三春滝桜に看板
香貫山の桜台近くに「三春滝桜(福島県三春町から寄贈)」が咲き始めています。この山に登ってくる人たちの間では、秘かに開花を待ち望んでいる桜の一つです。そして市民が要望していた滝桜の経緯を記した看板が開花を前に設置されました。(農林農地課・職員の手作り看板)
三春滝桜の苗木の寄贈については、平成21年9月に視察で市議会議員と担当部署の産業振興部長、農林農地課長が福島県三春町(人口17000人)を訪問し、その際、沼津市の桜の名所づくりの取組の趣旨に賛同していただき、翌年の2月に苗木を寄贈していただくことになったようです。ちょうど東日本大震災の前の年でした。


平成29年2月に、三春滝桜の苗木を寄贈した自治体等32か所に「娘へ」と題した三春滝桜からの手紙がこの沼津市にも届きました。その手紙には、滝桜を「母」、苗木を「娘」に見立て、我が子の成長を気にかけている内容で、私たちはそれに感動し、市民の方々をはじめ香貫山を訪れる方々に三春町の滝桜のことを知って戴きたいと思っていました。
三春町の役場の方に手紙を送付した目的を伺ったところ、「苗木の現状を確認したいこと」「娘たち(滝桜)の代わりに里帰りをしてもらいたい、三春に来てもらいたい」という思いを込めたようです。

大正11年10月12日に、桜樹としては初めて国の天然記念物に「三春滝ザクラ」の名称で指定。同時に指定を受けたのが、岐阜県本巣市の「根尾谷淡墨ザクラ」、山梨県北杜市の「山高神代ザクラ」、静岡県富士宮市の「狩宿の下馬ザクラ」(昭和27年に特別天然記念物指定)、埼玉県北本市の「石戸の蒲ザクラ」です。
日本を代表する桜の巨木で、根尾谷淡墨桜、山高神代桜とともに日本三大桜に数えられ、近年は西の淡墨桜に対し、東の横綱とも言われています。
↓下の記事は昨年地元紙に掲載され、この桜の経緯から三春町の滝桜への思いを知ることになった。

2021.02.13
第135回香貫山影奉仕の活動
令和2年12月末に「森・川・海ごみ削減実践活動支援事業」に応募し補助金交付を受けました。
そこで、1月と2月の活動は香貫山の登山道、駐車場、公園等でのゴミ拾い、特にペットボトルやお弁当のプラ容器などプラスチック類を重点的に拾い集めてみたのですが、茂みの処のあちこちにあるあるプラスチック類の何と多いいこと。
燃えるゴミ、埋め立てごみ、缶・ビンガラス類、プラスチック容器類等と分別するためのゴミ箱を購入することができました。
今まで清掃活動の用具は市で調達をしてもらっているものの、それ以外は皆さん自費で賄っています。今回、救急用具も購入できて本当にうれしいです。この補助金を教えてくださったNVNの石川さんに感謝です。






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