山下ふみこオフィシャルブログ
2023.11.11
市が市議を訴える@沼津 その6 元々だれの土地?
「元々の土地は沼津市」と言われているようなので改めて説明をする。
沼津市歴史民俗資料館の資料によると黒瀬橋はもともと木造橋であった。
昭和33年(1958年)狩野川台風で流出し、昭和37年に鉄筋コンクリート橋として建設された。
平成5年(1993年)自転車・歩行者専用の橋が架けられた。
この2度にわたる橋の建設によって120坪からの土地を植松(父)は沼津市に売却することになった。
2回目の時は64坪の土地を売却するにわたり、同じ64坪の土地を代替え地として払下げる約束(確約書)をした。植松の土地になるはずだった問題の土地2筆が登記がされていなかった。
当時は2筆(1556-1,1556-2)の土地が2回の橋の建設により20筆にも刻まれてしまっている。
木橋は、たびたびの洪水により流出し、そのたびに復旧されてきたという。
そして、昭和33年の狩野川台風で木橋の流出によって鉄筋コンクリート橋が建設された。
当時の住民にとって待望の橋だった事が想像できる。
まだ木橋の頃は家の前は道路であった。
それが昭和37年に今の黒瀬橋が出来たことによって、橋が高架橋になり植松の家はその高架橋の下になってしまった。
2023.11.11
市が市議を訴える@沼津 その5 元々だれの土地?
市議が市民への説明に、もともとは沼津市の土地を山下が「私のもの」と言っている。これは山下が悪質で自分のものではないそもそもの沼津市の土地を私の土地と言っているという。
何故、基本的なことが曲解されてしまったのかと調べてみると、その一つに静岡新聞の記事に同じようなことが書かれている。
当時、その記事に抗議をしようと思ったが、当時のマスメディアの報道は私に対する酷い報道がされていたのでそのままにしていた。しかし、今でも市民はそういう理解をされる方もいるのでこの件については訂正をしたい。
まずは、「私のもの」というそもそもの土地は誰のものか?
↓8/15静岡新聞□元々の沼津市の土地 → 元々は植松家の土地です!
↓8/15静岡新聞□元々の沼津市の土地 → 元々は植松家の土地です!
戦災前の町並みが資料として残されている。 当時、植松は「沼津倶楽部」といわれ乗馬クラブをしていた。