山下ふみこオフィシャルブログ
高尾山古墳
2015.09.05
高尾山古墳と道路両立の協議会
今やっと古墳保存と道路の両立に向けて話し合いが始まった。その第1回目の協議会が9/3。
この協議会自体に法的拘束力はないが、最終的な市長判断に影響を及ぼすことは間違いがない。
この協議会の行方を見守るために、多くの市民、考古学者、県内外の方が傍聴に来る。会場に入りきれない方々は別室でモニターでの参加で、100人余からの方がこの協議会の行方を見守る。(画像はクリック)
6/30、6月議会の最終日に、道路のために古墳を削り取りながら調査をしてくと文化財予算が、他の一般会計予算と一緒になって可決された。しかし、市長は予算執行を留保し、今回の学識経験者の協議会で検討することとした。

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その現状を回避するために、平成19年に「文化財保護法」ができた。
この法律の目的は
2015.08.30
駿河國誕生と高尾山古墳by赤塚次郎
8/30市民文化センターにおいて、高尾山古墳の学習会第2弾、「NPO法人古代邇波の里・文化遺産ネットワーク理事長 赤塚次郎氏」の古墳を活用したまちづくりを市民と行うためにはどうすべきか、既に愛知県犬山市にある青塚古墳を歴史憩いのスポットにした仕掛け人でもある赤塚先生のわくわくドキドキしたステキなお話を伺うことができた。
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私たちの祖先、ルーツでもある高尾山古墳の王とはどんな人だったのか。
スルガの国の王の墓と言われている東日本最大最古級の高尾山古墳の謎は、考古学的見地からは築造年代等は解明されたとはいえ、愛鷹山麓に広がる古代スルガの地に、新しいリーダーの登場には、いったいどんなストーリーが秘められているのか。
その王が何を考え、何をこの地で成し得たのか、
赤塚先生の本当にわくわくするスルガ國の物語の始まりであった。
美しい愛鷹の森と駿河湾の海に挟まれた空間に、無限の可能性と未来への希望を夢見たリーダーの登場に、当時の地域社会においては革新的なものであっただろうという。
浮島沼と言う低地・沼の環境に住む民と標高100mの山麓(足高尾上遺跡群)に住む民、そして高尾山古墳が築造された木瀬川・狩野川低地部に住む人々と海の民。弥生後期社会から継続する海辺・低地部に集住する浜の民と標高100mに住む山の民、この二つの大きな部族集団が、何らかの理由で「駿河」の地に集まり、高尾山の王を支えていた。
まさに彼らは、高尾山の王に憧れて集まってきたかもしれない。この地に育つ優れた素材がここに集まってくる。海を越え、山を越えて異国のものが往来する場面が出来上がったのだと。多くの技術集団が集まり、広域ネットワークを展開していったのではないか。
同時に大規模な古墳造営と言うイベントが民や富の動員を可能にしていった。やがて、その領域が「スルガ」と呼ばれることになっていく。
スルガという國の歴史は、まさに高尾山古墳の築造を契機として、その機運の中から創出され、伊豆半島から愛鷹山麓を抱え込むこの場面から出発したといえるだろう。だからこそ、この王墓を なくすことは、スルガの国のはじまりをなくすことにもつながる。

最後に、赤塚先生は文化遺産学からの視点として、
この古墳の存続を願うには、古墳の評価だけでは、その文化遺産を護り、継承する道筋は見えてこないという。どちらが良いかといった二項対立的な視点からは何も見えてこないと。
史跡や文化財からの視点ではなく、「文化遺産」として、国や県・市等の枠組みだけのものではない活用の可能性を探っていく。それには地域に残る物語や歴史の舞台を認識し、私たち市民が具体的なその場の歴史を造っていくことが先決だという。
沼津市民はその認識をさらに深め、 地域社会の文化遺産が目に見えるまちづくりをしてほしいと提言された。文化遺産を継承していくまちづくりは、住民にとって、不便なことがたくさんある。しかし、それがひいては、どのまちにもない沼津ならではの地域再生へ繋がっていくと。
高尾山古墳はその可能性を十分秘めているからこそ、全国の多くの方々から関心を持って下さっているのだと改めて感じている。
高尾山古墳が今まで地域の熊野神社と穂見神社に守られ続け、その存在さえ忘れ去られてきたわけだが、神社の移転と共に、今再び、その存在が蘇ったわけである。
赤塚先生のいう「平成の世に再び蘇る。その意味するところはやはり、環境変動の兆しがみられる今日的な地域再生への警鐘かもしれない」と。
二度とありえないその歴史的な遭遇を、このまちの再生のために、覚悟を持って受け止めていかなければならないと思う次第です。
2015.08.09
かつての高尾山神社と経緯
古墳発掘調査をする前の高尾山神社の様子を紹介したいと思います。
熊野神社(日子火火出見命ヒコホホデミミコト)で階段を上っていくと穂見神社(鵜羽屋不会不命ウバヤフキアエズミコト)があります。どちらも社はこじんまりとしていますが、大神様が祭られていたようです。
皮肉なことに、道路事業のために神社を移転せざる得なく、移転して穂見神社の下に、東国最大最古級のスルガの国の王の墓と判明されたわけです。(以下概略)
2006年(H18):神社立ち退き (第1次試掘調査H17)
2007年 :第2次試掘調査して、古墳時代初期の前方後方墳と判明
2008年~ :2年間かけて本格調査
2010年 :学術的価値の検証
2011年 :辻畑古墳から高尾山古墳へ名称変更。
庁内検討会9/6(1回目)南一色線の線形変更の協議、12/4(2回目)線形の変更案検討
2012年 :3/30に高尾山古墳発掘調査報告書が刊行。シンポジウムや企画展を大々的に開催。
2012年 :11/5日本考古学協会は沼津市に保存要望書を提出
2013年 :庁内検討会6/12・7/3(5回)
2014年 :庁内検討会8/1ここで基本方針決定
(H26) 9/6 県知事視察
12/5 市長へ最終報告
12/16 文化庁へケース9案を持って道路の了解を得る
2015年 :1/13 市長名で県教育委員会に申請書提出
3/31 県教委 条件付きで了承(道路事業)
5/22 日本考古学協会会長声明
5/25 文教消防委員会・建設水道委員会へ報告
当初、この古墳の発掘調査は道路事業を進めるために、記録保存と言うことで発掘調査が念入りに行われたようです。そこで、副葬品も多数出土し、築造年度や埋葬年度が次第に明らかになりました。
2015.08.07
高尾山古墳の現状保存と道路の両立へ!
撤去方針を沼津市長が撤回
毎日新聞 8月6日(木)20時5分配信
道路建設で取り壊される予定だった静岡県沼津市の高尾山古墳について、同市の栗原裕康市長は6日の記者会見で「方針を白紙撤回する」と表明した。高尾山古墳は3世紀前半に築造された東日本最古で最大級の前方後方墳(全長約62メートル)。
市は今後、古墳の現状保存と道路建設の両立を目指す。
市は5月に取り壊し方針を表明し、今年度補正予算に関連事業費5100万円を計上した。日本考古学協会は保存を求める会長声明を出し、市内では保存を求める3団体が設立された。
栗原市長は方針転換の理由について「報道と会長声明をきっかけに、全国から想定をはるかに上回る意見を頂いた。反省したい」と述べた。現状保存と道路建設を両立する具体策は、有識者でつくる協議会を9月に設置し、検討する。
日本考古学協会の篠原和大理事は「邪馬台国の時代の古墳。将来にわたり、歴史を正しく理解する上で現状保存は欠かせない。歓迎したい」と評価した。【石川宏】
今回、市長が急遽記者会見を開いて、古墳と道路の両立、しかも、古墳の現状保存と言うではないか。
この急転した事態に、いったい何が起きたのか?
まさに市長の英断であるが、そこに至った理由は何だったのか?
協議会のメンバーも決まり、今後は高尾山古墳を守る市民の3団体は、署名活動の継続と協議会への傍聴に市民参加を呼び掛けていくことになるだろう。
(左の写真はかつての高尾山神社があった杜)
8/4、市民の3団体は市長への要望書を提出した。そこには1~4の要望が示されているが、今回の状況は、市民団体が出した要望の1の条件が受け入れられたといえるだろう。
(下記要望書クリック→拡大)
2015.07.31
高尾山古墳と御神木
高尾山古墳の墳丘周辺には御神木と思われる大きな樹木が伐採され、根を残したまま立ち枯れたままになっている。
関東方面の神社関係の方から連絡が入り、移転した二つの神社、熊野神社と穂見神社や御神木についてお話を承る機会を得る。
その方は古墳より、神社や御神木について語って下さった。ここでは誤解を招くことにもなるので言えないが、やはり私たちは今回のことをきっかけに、神や命に対する感謝や畏怖・畏敬の念を忘れてはいけないと思う。
高尾山古墳が全国放映されたことによって、多くの方から御神木について心配の声があがっていた。それで、許可を得て墳丘周辺の木の状況を見てもらう。
このクスノキは南に面している幹は、日差しで乾燥して樹皮がなくなり再生は無理だが、北側からは見事に芽吹いてきている。
シイノキも同様に、出ている根に土をかぶせることで今なら木は生き返るという。しかし、このような幹の切り方を普通はしないという。無残な切り口である。
根がむき出しになっていても御神木と思われる木の生命力は強く、大半の根は枯れているが、再生してきている。
しかし、このままだと根が乾燥してしまうので、土を今までかぶせてあった処までかぶせることで再生するという。
常緑広葉樹のタブノキも同様に今また生命を吹き返している。
このクスノキを見るたびに胸が痛くなるという人が多くいる。根の周囲は4mはある、樹齢500年以上ではないかと言うこの御神木は既に枯れてしまっている。このままだといずれ崩れてくるだろうという。
神木(しんぼく)は神体のこと。神社の境内にある神体としての木、その周りを囲む鎮守の森や伐採をしないとされる木を指すらしい。
神社によっては社を持たず、神木をそのまま神体として祀っているところもあり、また神社はなくとも自然そのままにある神木が多くの信仰を集めている場所もあると言う。
このように陽射や風雨にさらし続けているこの無残な状況に、何とか生き返らせて欲しいという声に、どうしていいのか、成す術がないまま・・・でも、このままでいい訳がないのは誰でも分かっているのだが・・・
御神木を守ることはできないのだろうか。
ある方から
「・・・やはり古墳と神社は先人の思いと神様のお気持ちが重なり合ってい
是非頑張っていただき良い方策で解決される事を願って止みません