山下ふみこオフィシャルブログ
仕事
2017.11.03
自治体議員政策情報センター in 静岡
11/2自治体議員政策情報センター 静岡県内の議員と市民の勉強会があった。
テーマ1:元国立市長の上原公子氏(自治体議員政策情報センター長・脱原発を目指す首長会議事務局長
「自民党憲法改正草案に見る国のかたち」憲法改正・国民投票と自治体議員の役割について
テーマ2:静岡市保健年金管理課長:「国民健康保険制度の広域化について」
憲法の描く民主主義とは
上原さんの「日本国憲法」に対する話は明快であり、わかりやすい。自民党が出している「日本国憲法改正草案」これが通ったら本当に大変なことになるという危機感が伝わってくる。
上原さんはマイノリティの立場(社会の権力関係 において、少数派に位置する者)から憲法を見るとよく理解できるという。SEALDsのいう「憲法は未完のプロジェクト」だから、あなたが自ら追求しなさいという。
SEALDs:戦後70年で作り上げられてきた、この国の自由と民主主義の伝統を尊重します。その基盤である日本国憲法の持つ価値を守りたいと考えています。この国の平和憲法の理念はいまだに達成されていない未完のプロジェクトです。
民主主義とは:国民の幸福や利益は、労せずして国民に与えられるべきものではなく、国民自らの努力によって築き上げられてゆくものでなければならない。すべての国民は、自らの力によって立ち、自らの手で幸福を追求する権利を有する。民主主義の保障するものは、このような権利であり、このような自由である。ゆえに、民主主義が「国民の福利のための政治」を行うことは、国民の基本的権利を平等に保護し、他人の自由を侵さない限度において各人の人間としての自由を確立することに他ならない。
(此処に示されている民主主義の概念は1948~1953年までの中高生の教科書に掲載(↓下段に示す)
憲法の描く民主主義社会とは:自らの手で自分の権利を追求し獲得するためには不断の努力がなければ獲得することができないということ。そして民主主義はその権利と自由を保障する。
上原さんが言った、マイノリティの立場から憲法を見ると理解ができると言われたが、私のような少数派の議員の立場からみたときによくわかる。少数者の意見を尊重する社会(議会)に未だに日本はなっていない。
第12条には、国民に保障する自由及び権利が定められている。その中に「常に公共の福祉のために利用する責任を負う」つまり、個人を尊重するということは他人の自由を侵さないことでもあり、他人を傷つけていけないということである。第13条はすべての国民は個人として尊重され、幸福の追求権を尊重
しかし、自民党案では、家族を大切にするという家長制度の復活を目指そうとしている。つまり、みんなが家族を単位として、気概をもって国家安泰のために和を尊び、自己を犠牲にし、個人の利益ではなく、国の利益に反してはならないとある。すべての国民は個人ではなく、人という単位として尊重されるとなっている。
個人の権利や自由を尊重するのではなく、常に公益、公の秩序に反してはならないとある。公益とは何か、つまり国の利益ということにならないだろうか。
どうも、自民党の改正案には迂闊には賛成してはいけないように思える。日本国憲法は、個人に保障する自由や権利を、人という単位(国)として尊重されるというように変えられている。
一人じゃできないからみんながスイミーになればいい。一人ひとりはちっちゃいけれど、それが集まれば、大きな力になる。そして生活の中で、自分の権利を主張していくようになればいい。
今まで憲法9条については戦争放棄を明確にした国の交戦権は認めないとされていたものが、自民党案は軍隊をつくる、国防軍を保持するということには反対の表明をしてきたが、それ以上に第97条で保障されていた基本的人権が削除されていることなど、もっと憲法を勉強しなくては何も語れないし、日本国憲法の持つ価値がどれだけのものなのか、自ら学ぶ必要性を改めて感じさせてもらう。
(今日は日本国憲法公布71年目だったなんて・・・)
------------------------------民主主義とは---------------------------------
以下は文部省著作教科書として実際に1953年まで中学生及び高校生の社会科教科書として使われていたもの。日本が終戦後、民主主義をどのように捉えていたかを考えるにはかなり参考になる本であるはず。
はしがき
今の世の中には、民主主義ということばがはんらんしている。民主主義ということばならば、だれもが知っている。しかし、民主主義のほんとうの意味を知っている人がどれだけあるだろうか。その点になると、はなはだ心もとないといわなければならない。
では、民主主義とはいったいなんだろう。多くの人々は、民主主義というのは政治のやり方であって、自分たちを代表して政治をする人をみんなで選挙することだと答えるであろう。それも、民主主義の一つの現われであるには相違ない。しかし、民主主義を単なる政治のやり方だと思うのは、まちがいである。民主主義の根本は、もっと深いところにある。それは、みんなの心の中にある。すべての人間を個人として尊厳な価値を持つものとして取り扱おうとする心、それが民主主義の根本精神である。
人間の尊さを知る人は、自分の信念を曲げたり、ボスの口車に乗せられたりしてはならないと思うであろう。同じ社会に住む人々、隣の国の人々、遠い海のかなたに住んでいる人々、それらの人々がすべて尊い人生の営みを続けていつことを深く感ずる人は、進んでそれらの人々と協力し、世のため人のために働いて、平和な住みよい世界を築き上げて行こうと決意するであろう。そうして、すべての人間が、自分自身の才能や長所や美徳を十分に発揮する平等の機会を持つことによって、みんなの努力でお互の幸福と繁栄とをもたらすようにするのが、政治の最高の目標であることをはっきりと悟るであろう。それが民主主義である。そうして、それ以外に民主主義はない。
したがって、民主主義は、きわめて幅の広い、奥行きの深いものであり、人生のあらゆる方面で実現されて行かなければならないものである。民主主義は、家庭の中にもあるし、村や町にもある。それは、政治の原理であると同時に、経済の原理であり、教育の原理であり、社会の全般に行きわたって行くべき人間の共同生活の根本のあり方である。それを、あらゆる角度からはっきりと見きわめて、その精神をしっかりと身につけることは、決して容易なわざではない。複雑で多方面な民主主義の世界をあまねく見わたすためには、よい地図がいるし、親切な案内書がいる。そこで、だれもが信頼できるような地図となり、案内書となることを目的として、この本は生まれた。
これからの日本にとっては、民主主義になりきる以外に、国として立って行く道はない。これからの日本人としては、民主主義をわがものとする以外に、人間として生きて行く道はない。それはポツダム宣言を受諾した時以来の堅い約束である。
しかし、民主主義は、約束だからというのでしかたなしに歩かせられる道であってはならない。それは、自分から進んでその道を歩こうとする人々に対してのみ開かれた道であり、その人たちの努力次第で、必ず繁栄と建設とに導く道である。われわれ日本国民は、自ら進んで民主主義の道を歩み、戦争で一度は見るかげもなくなった祖国を再建して、われわれ自身の生活に希望と繁栄とを取りもどさなければならない。ことに、日本を再建するというこの仕事は、今日の少年少女諸君の双肩にかかっている。その意味で、すべての日本国民が、ことに、すべての少年少女諸君が、この本を読んで、民主主義の理解を深められることを切望する。そうして、納得の行ったところ、自分で実行できるところを、直ちに生活の中に取り入れて行っていただきたい。なぜならば、民主主義は、本で読んでわかっただけでは役に立たないからである。言い換えると、人間の生活の中で実現された民主主義のみが、ほんとうの民主主義なのだからである。(p1-3)
2017.10.21
高架事業認可取り消し等を求める訴訟
H28年9月に高架事業認可の取り消しと貨物駅移転先の土地収用裁決差し止めを求める訴訟を静岡地裁に起こしている。
高架事業に伴う貨物駅移転の原地区や、区画整理の対象となっている富士見町の地権者等が原告団106人で結成し、国と県そして沼津市を被告として争っている。(前回から沼津市も被告側に参加)
↓原告団代理人:海渡弁護士と花垣弁護士
(人間的にも本当に温かみのある弁護士の二人)
第5回目の公判は10/17でした。
原告の主張(地権者):高架事業による財政への悪影響を主張
被告の主張(沼津市):「長期財政試算」を提出。これを基に高架事業を含む大型事業が可能だという試算結果の主張を添えて提出している。
試算は人口減少対策の効果を反映させたもので現実的予測であるということらしい。
今回、沼津市は本会議で「長期財政試算はあくまでも試算であり施策には反映しない」と答弁。さらに、先日の市長との面談において、「試算は市の目標や方向性を示したものに過ぎない。この試算通りには市政運営を行うものではない」と言っている。
目指す人口ビジョンの目標(出生率1.46⇒2.07)を基に試算を出したのでは、現状と大きくかい離し、目指す数値を基に、財政が大丈夫だという根拠にならないにもかかわらず、この試算が証拠書類として挙がっている。
しかし、政策目標にしているデーターを前提にしていては、政策目標は目標だから現実から外れる。こんな目標値を根拠にされていたとは驚くべきこと。
(目標だから、希望に満ちた世界一を目指す目標の方がfeelingはいいし、市民にも受けはいいだろう。実際、総合計画は財源の手当てを示していないものになっている。責任なんて誰も取らない。議会が質さない限り・・・)
次回の口頭弁論:12/19の口頭弁論において市財政の問題点について原告代理人の海渡弁護士と花垣弁護士が徹底的に反論していきます。
2017.08.29
議員の調査における資料請求の対応
今日の出来事について、結果的には要望通りにはなったのですが、考えた末、私の記録として書き留めておきます。
それは先週、私の資料請求に対して、担当課は以下のように回答をしてきました。
「決算前だから出せない。議会が始まれば、それは報告書に掲載されるのでそれを見てください。」というものでした。
もう一つは、今まで出してもらっていた資料について「公表するとなると何らかの問題を引き起こしかねない懸念があるこ
私は「決算の前にその対象の
さらに、「今まで出していた資料を提供しない必然性がどこにあるのか?
また、公表すると何らかの問題を起こしかねないとはどんな問題を懸念されているのか?
実際そのようなことが起きた事実はあるのか?
多様な意見や考えを踏まえて、その環境整備に努めていきたいという私の考えをそちらの一
しかし、担当課は最初の理由を繰り返すだけでした。
確かに10年前の1期目の時は資料請求をしてもなかなか出してもらえず、議員のあなただけに出すわけにはいかない、決算審査前だから事前審査に当たるなどと言われ、仕方なく情報開示請求をして資料を入手したことがよくありました。
しかし、今日のようなことは最近では全くなかった事です。
かつて、市は私にとっては閉鎖的だったことも、前市長の時から積極的に情報は開示していくという姿勢が徐々に浸透してきたという実感があります。
議員は日々の議員活動の中で、市長等の執行機関に対して資料請求 を行うことは頻繁にあります。議員の求める資料請求に対して、執行機関は迅速に対応しているものと思っているでしょうが、それは全く違っていたといっていいでしょう。
(それは個々の議員によって対応は様々だったのかもしれませんが・・・)
地方自治法においては、議員個人に調査権限は有していません。だから、執行機関から任意で提供を受けるということにとどまります。
(現状では地方自治法において議員個人に調査権を認めていないことは、議会が合議体の議事機関であるという性格があるからだと考えます。)
だから、議員には調査権がないとかよく言われることがあります。しかし、調査権がないから、議員は調査しなくていいんでしょうか。そうではないはずです。
その一方で、議員の調査研究、その他の活動に資するため必要な経費の一部として会派または議員に対し、政務活動費があります。
議員は市民の代弁者であり、代議者です。
だからこそ、議員は市政をチェックするためや市政への政策提言のためにも日々調査研究を怠ることはありません。
議会制民主主義のもとに、議員は市民(主権者)の意思を代行して市政をチェックするために資料を集めるのは当然のことです。そして、市は議員に対して説明責任を履行しなければならないはずです。
横浜議会基本条例には「市長等は、議会または議員から、市長等が執行する事務に関する資料の提出または説明要求があったときは誠実に対応するものとする」とあえて地方議会議員の調査権として明文化しています。
今まで閉鎖的に思えていたことも、時代とともに執行部側の認識も変わってきていると実感してきていましたが、今回のことがきっかけで、10年前の資料が出ない状況に日々地団駄踏んだ当時のことがフラッシュバックしました。
せっかく私なりにやってきたことをどうしても後戻りさせたくなかったこともあって、今日は私の初心を振り返って敢えて記すことにしました。
2017.07.11
なないろの風 in 富士市
なないろの風の定例会を富士市で行う。
会代表の小沢さんが副議長になったこともあり富士市での研修となる。6月議会の反省と共通テーマの模索、女性議員を増やしていくための次の行動等、盛りだくさんのテーマに久々の顔合わせに話題はつきない・・・
そして、今日の研修テーマである平成23年4/1施行の「富士市議会基本条例」の経緯と運用状況を議会事務局長からお話を伺う。
富士市議会は栗山町の議会基本条例を手本としたという。しかし、大きく違うのは、栗山町は後世にこの議会活動を基本条例として残していくことだったが、富士市は条例にした以上きちんとやっていこうと、これからの議会活動の基本姿勢としたことであり、毎年見直しを行っているという。
多くの自治体が議会基本条例はあるが、絵に描いた餅になっているということはよく聞く話でもある。
(沼津市には議会基本条例も議会として住民への報告会も行われていない)
事務局長さんから伺うお話は、議会として当然のあるべき姿であるが、現実は富士市のように議員同士が自由闊達な議員間討議など夢のような話である。
さらに驚くことは決算審査前に、議会で8月末に協議会を開き、各会派で上げた事業について、執行部から必要な資料提出を求め事業評価を行い、次年度の予算編成に生かすようになっている。
本来なら、事前審査に当たるとして資料等の提出を拒まれるところだが、条例に資料提供等も明確に示されている。まさに二元代表制としての議会機能が発揮されているのは、2年かけてこの条例を若手の議員が中心となってやってきたプロセスにあるという。
地方分権時代と言われて久しいが、まさに住民にとって身近な行政は地方が行うことが地方分権一括法で示されている。議会・議員活動がそこに住む住民の行方を左右する大きな存在であり、その議会の質によって自治体間の格差はますます広がっていくだろう。
未だに民主主義の御旗のもとに、多数決という数の力で押し切り、少数会派の意見を無視し続ける議会の自治体に将来はあるのだろうか・・・とふと考え込んでしまう。
----------富士市議会基本条例の趣旨-------------
地方分権時代、地域主権時代を迎え、住民にとって身近な行政は、できる限り地方が行うこととし、国は地方公共団体の自主性と自立性を十分に確保するとしています。
議会は、こうした時代変革を認識し、二元代表制の一翼を担う合議制の機関として、議会とはどうあるべきかの議論を行い、さまざまな議会運営の改革と改善に取り組んできました。多様化する市民ニーズを的確に把握した政策提案、積極的な情報公開、公平性、公正性及び透明性の確保、政策活動への市民参加の推進、議会・議員活動を支える体制の整備などの取組を今後も持続的に進める必要があります。
これらの取組の実現を目的とし、市長との健全な緊張関係を保ちながら、市民に対して開かれた身近な議会を目指すための具体策を議会基本条例には定めています。
http://www.city.fuji.shizuoka.jp/shisei/c0407/fmervo0000008okt.html
2017.05.13
療育支援センターin 富士宮
5/11午後からは富士宮市立療育支援センター「こあら」を訪問。
このセンターができた一つのきっかけはH19年度に「発達が気になる子の調査」を市独自で行った時に、10.38%という結果を踏まえて、H20年度に「就学前の気になる子どもとその保護者」を支援するために、「子ども未来課」に療育支援係が新設された。
H26年度に「療育支援センター」が開設され、療育支援課となり、早期発見・早期療育のための相談や療育事業を行っている。(↓下記画像クリック→拡大)
センターでは、保健師(課長)+事務職1人+正規(保育士1人、作業療法士OT1人、臨床心理士1人)+嘱託(心理判定員1人、作業療法士OT1人、言語聴覚士ST1人(欠員))+臨時(保育士4人)
臨時の保育士やOT,ST,PT等の専門職の定着性がなく、募集をかけても臨時職ではなかなか集まらないのが実情。療育支援を充実したものにしていくためには、専門職の確保が必要である。
療育事業:未就園グループ8グループ 計67人(145回)月3回(午前中)
就園グループ8グループ 計46人(118回)月1~3回
個別療育:
言葉の教室(保育士)、心理士や作業療法士の個別指導、:30~60分/月1~4回
園訪問事業:181人 224回(1か園1~4回/年訪問)
園からの相談で療育支援係と園児の様子を把握し、対応を相談。また、センターに通う園児の園での行動観察し、園と連携した取り組みを行う。
実際、みはら園のような取り組みを行うにはスタッフ不足と人材確保が難しい。現状はみはら園と連携し、研修等では情報提供をしている。
障害福祉計画について:平成30年度~32年度に向けた障害福祉計画(H27~29)の見直し及び障害児福祉計画の策定を平成29年度中に行うことから、今年度中に現行の基本指針について見直しをすることになった。
基本指針見直しのポイントとして、障害児のサービス提供体制の計画的な構築も示されている。その中で、児童発達支援センターを中心とした地域支援体制の構築やライフステージに応じた切れ目のない支援と保険、医療、福祉、保育、教育、就労支援等と連携した支援等について、基本方針に盛り込む案も示されている。