山下ふみこオフィシャルブログ

ボランティア

2022.03.16

147回香貫山影奉仕の活動

3/12(土曜日)今回新入りさんが2人、さっそくみんなと一緒に活動をしてもらいました。ありがとう~
この時期、ちょっと早咲きの大漁桜が咲き始めで、陽気も温かくちょっと早めのお花見客で駐車場は満車状態。満車なのに次から次に突っ込んでくるので、それはそれは大変。
引き返すにもUターンするスペースもないので、事故が起きなければいいと願いつつ、毎年、桜の時期の週末はこの繰り返しです。みんなで何とか土砂を埋め立てて駐車台数を増やしたものの全然追いつかない。
「市もわかっているにもかかわらず、事故が起きなければと見て見ぬふり?」と市民の怒りの声が毎年聞こえてくる。
毎年要望しているのですが、何とか週末の臨時駐車場を考えてもらえたらと。

香陵公園の南側斜面に大量の不法投棄があり、そのごみが散乱している状況にみんなため息。ずっと不法投棄がなかっただけに残念。でも、みんな文句も言わず黙々と片付けている。この繰り返しがあって、この山の不法投棄は完ぺきなほどなくなっているのに・・・

2022.02.18

香貫山遊歩道の階段補修

2/18 市民の方から遊歩道の階段補修に廃材の材料を探してほしいというお願いを緑地公園課にしてきた経緯がある。
そして、私も市民から要望で緑地公園課に電話でお願いをしていたので、回答の再送をしてみたところ、思いもかけない回答に唖然。その返事があまりにも誠意のない回答であったためにどうしたものかと・・・
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実は香貫山の遊歩道の階段補修を10年以上前からコツコツやって下さっている方が2人いるのですが、1人の方は作業中に腰を悪くして現在は休養中。
今までは補修をしてくださる方のために、誰かが補修用の木材の廃材を調達して何とか作業を続けてきていたが、いよいよ廃材が底をつく状況になってしまっていた
その方は何度か緑地公園課に電話をしていたようだが、埒が明かない状況が続いていたので、私も電話でお願いをしていたが、返事がちっともないので、今日は電話をしてみたところ思いもかけない回答が来た。
「緑地公園課は遊歩道は担当ではないので、廃材を工面できない。遊歩道は農林農地課の所管だから、修理する箇所は担当課でするから場所を言ってくれという事です。」と言って電話を切られた・・・

「なんてこった!!」
10年以上も前から300段、400段、500段の階段は崩れ落ち、いくらお願いをしても補修もしないまま年月が過ぎ、それを見かねた高齢者がぼちぼち修繕してきたというのに・・・市役所がやってくれていたのなら、彼らは手を出すことなんてしないっ!
「こんな冷たい回答、彼らに言えないよ!」
本当に農林農地課が言われた階段の補修をやってくれるのかどうか確認の電話を入れた。
とにかく、彼らがどんなに丁寧に補修をしているか現場を見てほしい。補修によって事故など一度も起きていないことも言い添えた。
忙しいとは思うのだが、即、農林農地課が現場確認をしに来てくれるという事で、階段の補修をしている彼等2人にも現場に来てくれることをお願いをして同席をさせてもらった。
農林農地課の方々はいつも補修をしている彼らの話を丁寧に聞いてくださっていた。
そして現場を見て歩いてもらって、大体の状況把握をしてくれたようだった。
しかし、帰り際に市民の方に「補修する材料の工面ができるかどうかはまだ分からない…」と言ったとか・・・
「なんてこったぁ!ここまで来たのか、大型公共事業のしわ寄せが・・・」と思わずにはいられない。
今までブログでも謝罪や削除をされてきた私にとって、言いたいことも言えずに来たけど、やっぱり言うべきことは言わなきゃ変わらないと覚悟するしかなさそう。
今回、私が懲罰処分を受けたことによって、全国における懲罰を受けている議員や弁護士の方にもお会いすることができている。
全国には私のような議員が多くいることを知り、いろいろ勉強をさせてもらっている。
弁護士に相談をしながら議員活動をしている方も多くいることを知る。
言うべきことを言わないと誰も気づいてくれないのかもしれない。問題があるという事も知ってほしいし、議員の仕事として説明責任でもあるのだと思うのだが・・・

委員会での議員の発言状況を伝えていかなければいけないと考えている。
私は議員の発言は、公式に議事録に残さなければならない責任があると思っている。だからこそ、発言をすることで説明責任も自分自身にかかってくるわけだが、多くの議員はそういう考え方ではないのか、ほとんど発言しない方が多い。
ぜひ、委員会に足を運んでください。
市政のことが見えてくると思います。当局側が何と答弁しているのか、それによって市の姿勢もわかると思います。

2022.02.13

第145・146回香貫山影奉仕の活動

令和4年1月8日(土)と2月12日(土)の香貫山の清掃活動まとめて報告。
2月に入って不法投棄があったようで、仲間たちはすぐにそれらのゴミを撤収してくれたようです。こうやって素早い対応が次の不法投棄の抑制につながっていると感じている。
  ↓1/8(土)                               ↓2/12(土)

2022.02.12

第30回高尾山穂見神社の清掃活動

2/8第2火曜日の朝8:00~穂見神社の清掃活動をしている。毎回気になっているのが、古墳や道路の整備計画が始まるまでの現地に残されている高尾山古墳のこと。
古墳自体の表面保護が必要になってきていて、破れている箇所の補修はされているようだが、墳丘表面や古墳全体の養生はちゃんとされているのだろうかと気になっている。

古墳時代初頭の東日本において最古級最大級の高尾山古墳で、全国的にも評価を受けた重要な遺跡です。国史跡として指定を受けるべきものとされながらも、未だにその取組む様子は聞こえてこない。
道路測量設計(道路整備計画のうち)はすでにR3年度で完了するはず。地域資源として高尾山古墳の保存や活用を求め全国的にも注目された高尾山古墳である。今の状況がどのくらい続くのだろうか・・・
2/8の様子

現地の状況はこんな有様です。3月補正予算で高尾山古墳道路の一環として電線共同溝整備工事等が予算計上されている。
予算審議をする今議会の中でその進捗状況を聞いてみようと思う。全国の高尾山古墳を注目されている方々にも、情報発信をしていかなければならないのではないでしょうか。

高尾山古墳の脇に瓦礫と一緒に放置されている碑がある。天保13年壬寅(みずのえとら)6月と記されている1842年頃のものもある。コンクリートブロックと一緒に放置されているようにしか見えないこれらの碑は一体何故にここにあるのだろう。

令和元年度

(都)沼津南一色線道路測量設計業務委託の契約締結について

(都)沼津南一色線設計競技(デザインコンペ)の最優秀提案者と(都)沼津南一色線道路測量設計業務の契約交渉を行い、業務委託の契約締結を行いました。

業務名
令和元年度 都市計画道路沼津南一色線道路測量設計業務委託
受託者
(株)エイト日本技術開発 静岡事務所
(株)イー・エー・ユー(設計共同体別途締結)
契約日
令和2年3月31日(R2年2月補正156,000計上し、繰越明許費に)
委託期間
令和2年4月1日~令和4年3月18日
契約金額
137,999,400円(税込み)

2022.01.18

第29回高尾山穂見神社の清掃活動

令和4年になっての初の高尾山穂見神社の清掃活動です。雑草が砂利の間から顔を出し始めています。根が張っていないので、関単に引き抜けます。きっと風の強い日もあったのでしょうが、境内は落ち葉もなくきれいになっています。
穂見神社の西側にある小高い山を見るたびに胸が痛みます。かつては卑弥呼と同じ時代のライバルとも言われていた東の王様の古墳が出土し、高尾山古墳として騒がれたが、工事は2015年以降遅々として進んでいない。日本最古といわれる東の王様の古墳は次第に風化してきている。見るも哀れな姿のまま置き去りにされているとしか思えない。古墳もビニールシートがかぶさったままで所々劣化してきている。お掃除をするたびにこの風化していく姿に大塚さんはきっと悲しんでいるんだろうと思いつつ、私たちにできることってこんなことしかないと思い続けている。

かつての高尾山神社は鎮守の森の中にあった。今はその存在自体知る人もいなくなってきている。

2015年の夏ごろ、私たちはこの高尾山古墳にまつわる壮大な歴史に胸をワクワクさせながら、この古墳が残るための活動を市民と一緒にやってきた経緯がある。

赤塚次郎先生の講演の概要(2015年8月)

私たちの祖先、ルーツでもある高尾山古墳の王とはどんな人だったのか。
スルガの国の王の墓と言われている東日本最大最古級の高尾山古墳の謎は、考古学的見地からは築造年代等は解明されたとはいえ、愛鷹山麓に広がる古代スルガの地に、新しいリーダーの登場には、いったいどんなストーリーが秘められているのか。その王が何を考え、何をこの地で成し得たのか、浮島沼と言う低地・沼の環境に住む民と標高100mの山麓(足高尾上遺跡群)に住む民、そして高尾山古墳が築造された木瀬川・狩野川低地部に住む人々と海の民。弥生後期社会から継続する海辺・低地部に集住する浜の民と標高100mに住む山の民、この二つの大きな部族集団が、何らかの理由で「駿河」の地に集まり、高尾山の王を支えていた

まさに彼らは、高尾山の王に憧れて集まってきたかもしれない。この地に育つ優れた素材がここに集まってくる。海を越え、山を越えて異国のものが往来する場面が出来上がったのだと。多くの技術集団が集まり、広域ネットワークを展開していったのではないか。

同時に大規模な古墳造営と言うイベントが民や富の動員を可能にしていった。やがて、その領域が「スルガ」と呼ばれることになっていく。

スルガという國の歴史は、まさに高尾山古墳の築造を契機として、その機運の中から創出され、伊豆半島から愛鷹山麓を抱え込むこの場面から出発したといえるだろう。だからこそ、この王墓を なくすことは、スルガの国のはじまりをなくすことにもつながる。

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