山下ふみこオフィシャルブログ
ボランティア
2019.03.13
第112回香貫山影奉仕の清掃活動
3/9(第2土曜日)香貫山の影奉仕の清掃活動が112回となりました。
今回は香貫山の側溝に流れ込んだ土嚢の土砂を撤去されないまま放置されていたので、その土砂の撤去が主な仕事でした。 側溝にたまった土砂の撤去は真野富三さんが1年半前から始めていて、途中から影奉仕の仲間が、真野さんが側溝から掻き出した土砂を山の斜面に戻す作業を、いつのころからか毎日手伝い始めていました。 今日の影奉仕の仕事は最後に側溝に残った土嚢の土砂の撤去でした。これがとても大変な作業で、真野さん一人では到底出来なかったでしょう。この日の影奉仕の主な仕事はこの撤去作業でした。そして、それが終わって、真野さんの側溝清掃が完結したのです。
←真野富三さんの記事が沼朝に3/12に掲載されていました。
真野さんの香貫山登山道の側溝清掃は、真野さんの思いに共感した影奉仕の仲間たちが、真野さんの思いを最後まで無事に完結させてあげたいと側面から協力をしていたのです。
今朝の沼津朝日新聞に掲載されていた記事を見て、真野さんの偉業はもちろんのこと、それに共感した仲間たちが本当に毎日真野さんの作業とともに邪魔にならないよう協力をしていたことに影奉仕の仲間としてその優しさに素晴らしい人たちだと思っています。こういう仲間たちと一緒に香貫山の清掃が続いていることに改めて感謝しています。
2019.02.09
第111回 香貫山影奉仕の活動
毎月第2土曜日9:00から行っている香貫山の清掃活動、今回で111回目となりました。今日は寒波が押し寄せるという予報にも関わらず、集まった仲間たちに感謝し、曇り空の下活動を行う。途中、小雨模様にもなったのだが無事終了。
毎朝、側溝の溜まった土砂を取り除いている真野さん。この溜まった土砂は、ほとんど手をつけないまま溜まり続けていたように思う。
その土砂を影奉仕の仲間たちの誰かが道路に掻き揚げた土砂を片付けるお手伝いをいつしかするようになっていた。頂上から始めた作業はすでに香陵台公園を過ぎ、残り1/3ぐらいまで進んだろうか。真野さんの作業の邪魔にならないように連携してやっている彼らのチームワークに驚きを隠せない。
ゴミ拾いをしてくださる方用にゴミ箱の設置をしているのだが、今日の状況は分別ができず針金やビン(割れたビンも)やカンがそのまま捨てられている。このゴミを分別して指定袋にいれて定位置に出しておけば、市の回収車が来てくれるようになっている。
右下の写真は、崩落で道路に土砂や岩が落下して、側溝は完全にふさがれている。
2019.02.06
お散歩ボランティア inみゆき
2/5児童発達支援センターみゆきのお散歩ボランティア。まだまだインフルエンザが猛威を振るっている中でのお散歩。今日は少し曇り空で、歩行が大変な子供たちは大事をとってお散歩は中止。ボランティアは8人だったので、全員がお散歩に行く事はできないわけで、きっと楽しみにしていたかもしれないと思うと悲しいなぁ。
2019.01.26
第2回 おとなの寺子屋 by 馬場利子
1/26(土)「NUMAZUという未来」主催で第2回おとなの寺子屋を開催。講師は環境省認定環境カウンセラーの馬場利子さん。彼女とは2000年に静岡パルシェのエレベーターで知り合い、その出会いがきっかけとなって浜岡原発のことや静岡空港のこと、県知事選のこと に関わるようになり、それ以来の付き合いである。
馬場さんは全国を講演して廻っている。遠い処では先月、石垣島の母親たちのところでお話をしてきている。今回、「市民が創る楽しい暮らし、豊かな地域〜私にできる事」をテーマに、誰かがやってくれるだろうと思っていた時代から、自分たちの事は自分たちで考えてみよう、そして第1歩を踏み出してみようという。
それは定年を迎えたり、子育てや介護が終わった私たちだからできること。自ら動いて、やり続ければ、必ず叶うと実践してきた馬場さんだから言える。自らが動いて実現できれば、それは動いている私を幸せにしてくれるという。
今まで地域や行政の事など他人任せにしていませんでしたか?諦めていませんでしたか?きっと誰かが動いてくれるだろう、他人をあてにして結局傍観者になっていませんでしたか?
日本経済が、右肩上がりの時はよかったでしょうが、バブル期から30年経過した今、右肩下がりの時代になった今、行政がやってくれる事にも限界がある事に気づき始めている。何もやってくれないから私にできる事と行政ができる事を考えながら、彼女のやってきた事例を踏まえて1人からでも始められるアクション(市民活動)を起こしていこうという。
その第1歩が小学校1年生から始める数の計算に使用する算数BOX。2年生になると要らなくなり、結局ゴミになってしまう使い捨てを教育委員会、議会を動かしていったことで、今では静岡ではその使い回しが実現したという。
自分の物を持っていない事は惨めではない。繋がって子育てをしている事を感じられて嬉しい。単に行政にお願いするだけではなく、ここまでは私たちができるから市もやってください、とお願いをする。創る事の幸せはこれをやってもらったら嬉しいと思う事をやる。それが自分の幸せに繋がっていくという。実践してきた彼女だからこそ説得力もあり、自分たちもそんな気がしてくる。
話をきくうちに何か自分たちの方向性も見えてきたと森田代表が言う。きっとNUMAZUという未来にもできる事があるだろうと思えてきた。