山下ふみこオフィシャルブログ
香貫山
2021.05.08
第137回香貫山影奉仕の活動
新緑がまぶしい季節です。5月の和名は皐月(さつき)、菖蒲月(しょうぶづき)、月見月(つきみづき)、雨月(うげつ)ともいうようです。二十四節気のうち今は立夏(5/5~5/20ごろ)その次は小満(5/21~6/5ごろ)です。
端午の節句も過ぎGWが終わり香貫山も平常に戻ってきています。GW中は子ども連れの家族がお弁当持参で山に登ってくる方とよくすれ違い、毎日、駐車場は満杯の状況でした。
「ごみは?」というと、みんなが山に登るたびにゴミ拾いをしてくださっているので、GW明けの週末もきれいになっているので、今日は登山道の下草刈や側溝に溜まった土砂や草木の撤去、植木の手入れです。
影奉仕の活動以外にも、Tさんはみんなが安全に安心してこの山にのぼってもらえるように、階段や山道の補修をしてくれています。
先月はケーブルの埋設工事のために撤去された階段を、工事後に取り付けられた階段は、その間隔がひろすぎてしまい、下りはとてもこわくて足を滑らせてしまうからといって、階段の歩数を追加して安全に下ることができるように改修をしてくれています。
地面が滑りやすくなっているときには安心です。せっかく健康のために日々山に登ってきても、足を滑らせたりして怪我でもすると、そのまま山にこれなくなってしまう人もいますから本当に感謝です。
2021.04.24
香貫山の山道修理
今日、香貫山の香陵台公園から山道に入ったところで階段の補修をしてくださっているFさんに出会う。
斜面に作られている階段は、ボランティアのFさんやTさんがこうして補修してくださっている。そこには材料を提供してくださる方や山中まで運んでくださる方もいる。
途中に丸太のベンチがあちこちに設置されている。丸太のベンチはFさんの手作りです。
若い時には気づかなかったこのベンチの配置も、ちょうどいい塩梅の処に置かれている。優しい配慮に感謝です。
2021.04.24
香貫山の道路崩落からその後
夕方山に登ると、香陵台公園から西廻りで頂上に向かう道に「工事の看板」が掲げられて、4/26~7/26まで通行止めになるという。昨年7月に起きた崩落個所がやっと工事をすることになった。
ちょうどその時出会った女性から、「ずっと身近な山であったにもかかわらず、山に登ろうとしなかったが、桜の時期から此処に登るようになって、新緑の木々の清々しさや景色の美しさに友人をこの週末に連れてきたいの」っと目を輝かせて私に話しかけてくださった。
そうなの、この山は不思議な力を持っている。四季折々の変化はもちろんのこと、一緒に悲しんでくれたり、勇気をもらったり、喜んでくれたりと訪れる人々をいつも変わらず迎え入れてくれている。だからいつも感謝している。だからお掃除もしたくなるの・・・って
昨年7/1からの梅雨前線の停滞で降り続いた長雨は、香貫山の地盤が緩み土砂崩れの危険性が増していた。
7/1未明に土砂崩れがすでに起きていたので、その亀裂から雨が浸透し、これ以上崩壊が起こらなければと思っていた。
当時、その時の処置が、亀裂部分にブルーシートをかぶせただけになっていたため、ブルーシートだけでは、坂を下って流れ込んだ雨は確実に亀裂に入り込むわけで、山の仲間はその状況を危惧していた。
そして、早期の対応を求めていた矢先に7/10未明に、その亀裂から法面側に道路が崩れ落ちてしまい、その崩落個所は9か月間ブルーシートをかぶせたままになっていた。
9か月間ブルーシートで崩落した箇所を覆っていたのだが、4/26~やっと工事が入ることになった。
この間、何度も大雨に見舞われていたわけで、実際、崩落が起きた直後から現在に至るまでにどれだけ傷口が広がったのかだろうか・・・
緊急性を要したにもかかわらず、工事に着手できなかった理由とは、予算の確保ができなかったと思わざるえない。
崩落個所の復旧工事は、上の看板に示されたように、山側を削って道路幅の確保をする。崩落部分はモルタルの吹付だけで、崩落個所の補修工事は難しいのだろう。
山側を道路確保のために、さらに山を削らなければならないことを心配している市民に対して、塩坂先生の3月時点の調査において、妥当な工事であるという見解をいただいているので、問題はないと思っている。
今年1月と3月に地質学者の塩坂先生に香貫山の地質や崩落個所、そしてごみ焼却場の予定地等について、現場を一緒に回っていただき色々助言をいただいた経緯がある。
塩坂先生はこの山について「香貫山は都市の間近にある貴重な山であり、その利活用・保全計画を立てる場合は、香貫山全体の評価基準を作成しておく必要がある。様々な観点から重要度と影響度に分けたマップを作成し、それを重ね合わせることで総合評価していくと、全体を考えた優先順位をつけることが出来る。評価基準がないままでは、香貫山をどう活用し、どう残し、どう維持していくかという計画を立てることはできない。後追いの場当たり的な対応策に終始することになってしまう。」といわれた。
「香貫山の在り方」については、何度も専門家や市民が一緒に話し合われた経緯があるが、どれもこの山の保全というよりは観光的な活用や景観、植樹についてのことだったように思う。
今回、塩坂先生の指摘のように、まずは「香貫山全体の評価基準の作成」の必要性が求められているのだと思う。今後、この問題について取り上げていきたい。
2021.04.11
第136回香貫山影奉仕の活動
先月は雨のため香貫山の清掃活動は中止となり、4月10日(第2土曜日9:00~)136回目の清掃活動です。
その数日前にバイクの不法投棄があり、山の仲間から一報が入り、最寄りの交番へ行ってもらった。そして警察が現場に直行してくれて撤去したバイクは3年前の盗難車という事のようです。
最近は登山道を走るトレイルラン等によって傷んだ山道の修復が増えてきているようで、それも悩ましいことでもある。
スポーツを楽しむ人も山に登る人たちも清掃活動中に会っても挨拶をしない人たちの何と多いことか。これもコロナ禍のせいだといってしまえばそれまでだが・・・
側溝の中に溜まっている落葉や汚泥等の撤去をするために、まずはボルトで固定しているふたを開けるにも自前の道具を用意してくれている。側溝の中もすっかりきれいに。
倒れていたままになっていた石灯篭も修復。いつの時代の石灯篭なのか・・・すっかり石灯篭らしくなって後光がさした。
香貫山影奉仕の活動は月に1回だが、メンバーたちは其々が日々、登山道の整備で階段等の修復、希少植物の保護、草花の植栽など自分たちに合った活動を其々が続けてくれている。
日々山の隅々まで知っているから、この山で何かが起きたときは、必ず誰かが気付いて警察や農林農地課や緑地公園課にも情報がいっていると思うし、要望もいっていると思っていたが最近様子がちょっと違ってきている。
行政は、山の整備をするにしても遊具の更新をするにしても、せっかく香貫山のことを理解してくれている人たちに何故聞こうとしないんだろうか?という諦めの声が聞こえてきている。
最近もあったのだが、何の周知もないまま、突然桜の開花前に樹木の伐採をし市民の怒りをかった。道路にはみ出た樹木を片っ端から伐採をし、その犠牲になったのが、開花前の桜の木々たちの何と多かったことか。
市民の意向も聞かずに市民のための整備(緊急時に車の侵入に支障をきたす)だとやったのだろうが、残念ながら市民は自分たちのための整備だと思っていない。(その2週間後に市民マラソンのルートが香貫山だった)
今回のことに限らず、香貫山の整備一つとっても市民は「なぜ俺たちがその場にいても、役所の職員は業者と話し合うだけで俺たちの存在に気が付かないのだろう、きっと素人の意見をきくのは面倒くさいのだろうか、意見を求めるってことをしないんだよなぁ。
少ない予算でやっていくには、どうしたって十分な整備ができないことは俺らだってわかっているから、あれもこれもやってくれなんて言わないよ。だからこそ、必要最小限の整備を有効にやるには、どうしたって市民(現場の当事者)の理解を求め優先順位を考えるのは役所の仕事だろっ。結局俺らの税金で仕事するんだから、おらっちの声をちゃんと聞いてくれって・・・」と。
そういう市民の声を届けていくのも議員の仕事だと痛感しているのだが、なかなかそうならないことに力不足を感じている。 ↓伐採作業の看板も今もそのまま残っているのだが・・・
2021.04.05
香貫山の桜その2
すでに多くの桜は散ってしまい、数日前のあでやかな満開の桜の競演はすっかり影をひそめ、今は道端に散った桜の花びらの数だけがその面影を残すだけになってしまいました。
でも、さらに4月中旬頃に開花予定の桜たちが見ごろになってきています。桜は会うタイミングで色々な姿を見せてくれます。だからこそ、会うたびに感動をもらいます。香貫山って改めて面白いって思います。
「手弱女」は名前の通り優しくしなやかな女性を連想させる桜だといわれています。やっと見ごろになってきています。
関山:奈良時代に始まる大和朝廷から、平安・鎌倉・室町時代の中央集権が始まると、日本の各地から都へ貢ぎ物と共にいろいろなサクラの種類が集まることになり、そこでサクラが自然の交雑によって多様な雑種による品種が生じたとされています。同時に当時の人々は、積極的な交雑法やつぎ木技術を開発し、それらの品種が600年後の今日まで受け継がれたことになります。
このような例は世界のどこの国にも類を見ないといわれています。ちなみに奈良時代より伝わる古い品種には奈良の八重桜、関山、普賢象などがあげられます。