山下ふみこオフィシャルブログ

2021.02.13

第135回香貫山影奉仕の活動

令和2年12月末に「森・川・海ごみ削減実践活動支援事業」に応募し補助金交付を受けました。
そこで、1月と2月の活動は香貫山の登山道、駐車場、公園等でのゴミ拾い、特にペットボトルやお弁当のプラ容器などプラスチック類を重点的に拾い集めてみたのですが、茂みの処のあちこちにあるあるプラスチック類の何と多いいこと。
燃えるゴミ、埋め立てごみ、缶・ビンガラス類、プラスチック容器類等と分別するためのゴミ箱を購入することができました。
今まで清掃活動の用具は市で調達をしてもらっているものの、それ以外は皆さん自費で賄っています。今回、救急用具も購入できて本当にうれしいです。この補助金を教えてくださったNVNの石川さんに感謝です。

2021.02.11

鉄道高架の行政代執行へ

県知事はご自分の任期中は強制収用をやらないと明言していました。かつては高架化事業にも疑問を呈していました。
コロナ禍の中、どこの市町も市税収入が大きく減少しています。かつての市民サービスが維持できなくなってきています。自殺者もDV被害も生活困窮も解雇者も不登校もみんな生きるのが精いっぱいの中で、この状況を何とか乗り切ってもらうには自助努力には限界があります。今の大変な状況を持ちこたえてもらうための公的支援が必要です。
それには財源を生み出すために、今必要な事業であるかどうか見直しが必要です。限りある財源のなかで救済支援するためには、まずは今やらなければならない事業かどうかという事業の見直しです。

しかし、昨年も今年も高架化関連事業に費やす予算は変わってはいません。令和3年度の事業費は12.8億円。それも高架化本体は入っていません。この事業に係る部署には多くの職員が日々奮闘しています。

19日に行政代執行が行われれば、本当に事業は加速度的に進むのでしょうか。むしろこれから事業を進めていくためにはさらなる財政出動は必須です。何が何でもやらなければならない事業という事で、歴代市長の下で進めてきた市民待望の事業には、本来の市民生活にしわ寄せがきていることに目を背けてほしくはないのです。

今回の森さんの発言は、日本社会に厳然としてある大きな権力にいる者の驕りであり、差別発言であり、それに一緒に同調して笑っていた者たちは権力者にまとわってさえいれば優位に立っていられる人たちの笑いであったのでしょう。

権力者の前で個人の異なる意見を発言することは、大きな勇気と犠牲が伴ってきました。同調圧力のもとで個人の意見を翻させられ大きな権力の庇護のもとに行った人たちはたくさんいます。それに従わない者は、仲間外れや排除をされてきました。

高架事業に対してもそうです。高架賛成といっていれば、体制派の庇護のもとにいられたのです。異なる少数意見にはいつも大きな代償が課せられてきました。市民にとって自分にとって本来の幸せは何かと問い続けてきたときに、同調圧力に屈せずに自己の意見を貫き通してきた長い闘いは行政代執行で終わるものでないです。

もういい加減にやめませんか。権力に同調するのは。当たり前だと思わされてきた古き悪しき価値観は、世界では異常な社会だったと世界中に露呈されてしまいました。

コロナ禍の今、高架化事業を続けていく大儀があるのでしょうか。こんな今の状況は市民の誰も幸せにならないって思っています。できないものをできると言い続け、その挙句に、できるといったものは、誰一人責任を取らずにいなくなる、いなくなってしまうんですから。こんなことってあってはいけないと思っています。

ふるさと納税20210211_0002 (2)

2021.02.10

第19回高尾山穂見神社の清掃活動

19回目の高尾山穂見神社の清掃活動は先月から8:00に時間を遅らせました。当初は通勤時間帯と重なると渋滞に巻き込まれる懸念があったからですが、8:00に変更しても全く渋滞はなく、三つ目ガードやあまねガードもスムースに車は流れています。地方といえどもコロナ禍でリモートワークが拡大されていることもあるのでしょうか。また、人口減少や高齢化が進んでいることも影響しているでしょうか。

この時期は三寒四温が繰り返されて次第に春に向かっているようです。コロナ禍で日常生活において自粛傾向が続く中で、やはり春の訪れは嬉しいものです。
暖かい陽射しの中で、まずは熊野神社さん、そして穂見神社さんにお参りをしてお掃除をさせてもらいました。

高尾山穂見神社は南アルプス市の高尾山穂見神社から分祀したときいている。
昨年、沼津市と南アルプス市はそれぞれの特産物の販売を行い、地元の方々に大盛況で迎えられている。地産地消の交流販売のご縁は、実は高尾山穂見神社において既に神様の交流は150年以上前から繋がっていたと思うと、南アルプス市とのご縁はまさにこの高尾山神社が結んでくれたと私はひそかに思っている。

高尾山穂見神社は東熊堂(ひがしくまんどう)北方(きたかた)の高尾山古墳(旧名、辻畑古墳)の東に隣接して鎮座する。
 元は、全長約62mの前方後方墳、高尾山古墳の墳頂(標高21m)に鎮座していた。
 弘化3年(1846)10月、山梨県の高尾山穂見神社(南アルプス市高尾の穂見神社)より分祠し東熊堂荒久の地に祀ったという。 その後、明治21年には交通の便の良い、熊野神社境内上の地に移した。 高尾山古墳の後方部高台(墳頂部標高21m)のことと思われる。 社殿は、明治時22年に建立されたといい、現在の社殿は明治30年代に建立したものらしい。
 神紋は「流三巴紋」で、通常とは反対の右巴である。
 沼津市には、このほか興国寺城祉内にもうひとつの穂見神社がある。
[参考:『スルガの王 大いに塚を造る』2012年沼津市教育委員会、沼津市文化財センター]

■穂見神社 (沼津市根古屋、興国寺城祉内北条氏碑横)
 伊勢新九郎盛時(北条早雲)が、今川氏の家督争いでの活躍により与えられた興国寺城本丸の中心にあったと思われる。 ただし、穂見神社は北条早雲の時代にあったわけではなく、安政四年(1857)に施主15人が南アルプス市高尾山穂見神社(注1)から分祠し祀ったのがはじまりという。 「高尾大明神」とも呼ばれた。

 高尾山穂見神社(山梨県南アルプス市高尾498)
 標高850mの櫛形山北東山腹の山間集落である高尾に位置しており、通称を高尾山穂見神社、「高尾さん」、「山の高尾」という。 御崎明神」という別名もある。
 旧郷社、 祭神:保食神(うけもちのかみ)。『甲斐國古社史考』では、白山権現・三体王子(大福王子、大寿命王子、大智穂王子)であったとしている。 神紋は丸に違い鷹の羽。
 創立年代は不詳。 享保十三年(1728)七月に大洪水があり、崩れた土中より文治三年(1187)の古碑が出てきて、そこに「穂見神社」の銘があったという。

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