山下ふみこオフィシャルブログ
財政問題
2017.10.07
長期試算は捕らぬ狸の皮算用 NO4
★★★ 長期試算は「捕らぬ狸の皮算用」★★★
一般質問のまとめ:
狸は努力すれば捕れる可能性はあるが、この試算は甘い仮定の上に成り立っている試算であり、ほとんど意味をなさない。
この試算に成果や意味があるとすれば、
3大事業「高架事業・中間処理施設(ごみ焼却場)・香陵公園整備(新体育館)」が、同時に成立するには、試算が示した条件(甘い見込み)がなければ、これらの3事業は成立しないということを証明している。
やるべき事業を先送り、または平準化し(例えば、中間処理施設)、歳出を一度に大きくしなくて済む。つまり歳出の部分を小さくしなければ、この3つの事業が成立しないということを図らずも証明したものになっている。
つまり、以上の最低条件がなければ、高架事業もゴミ焼却場も新体育館も成立しない。
2017.10.07
長期試算が示す健全性とは? NO3
2017.10.07
長期試算公表の真意とは NO2
今回の9月議会に向けて、市長は9/5に「沼津市長期財政に関する試算」を発表した。http://www.city.numazu.shizuoka.jp/shisei/gyozaisei/finance/shisan/doc/shisan.pdf
この30年間の試算をもとに市民にわかりやすく説明をしていくためのものだという。
しかし、本当にこのデーターが正しいものなのかどうかがまず大前提である。
----------30年間の試算は不可能-----------
しかし、30年間の財政の見通しをしているところは、日本全国で岡山県津山市である。
県内外の他市の議員や財政課に問い合わせてみた。
「財政見通しは5年が限界である。10年間の見通しを出す場合は、毎年の見直しは欠かせない。30年間というのはもともと不可能であり、やれないし、やらない。」
それだけ30年間を見通すということは、不可能だからであり、沼津市はその不可能と言われている試算を試みた勇気は買うが、その試算で正しい評価ができるのかどうか、これで財政が大丈夫だというのとは全く意味が違う。
当局も試算を公表した記者会見の記事には、「この中で施策の判断を直接した資料ではない。あくまでも試算をしたという資料だ。」と述べている。
さらに議会質問でも「施策に直接反映するものではない」と答弁している。
では、何故この長期に及ぶ試算を出さなければならなかったのか?施策に反映するものになっていなければ、全く絵に描いた餅である。そんな餅をもって、市民への説明をされたのでは全くたまったものではない。
9/6の静岡新聞にも「・・・市は引き続き財政規律を最重要視し、”安心材料”だけでなく財政運営の厳しさも市民にわかりやすく伝える必要がある。」と書かれている。
少子高齢化が叫ばれて久しく、今月とうとう高齢化率が30%を超えた沼津市にとって、何一つ安心材料につながるものはない。
-------------なぜ問題を先送りにしようとするのか---------------
世界一元気な沼津を目指す以前に、この沼津に住む住民が、安心して暮らせる生活基盤整備が解決できていない現実にまず目を向けるべきではないだろうか。
これは現市長だけの問題ではなく、歴代の市長の施策による結果がそうさせたわけである。
だからこそ今、現実に向けた議論がなぜできないのか。
何故、財政が大丈夫だと、敢えて声高に言わなければならないのか。
現実、先送りしている市民生活の根幹であるごみ焼却場、埋め立て場、庁舎、病院、斎場、何も議論がされず、先送りになっている状況があるにもかかわらず、なおも財政が大丈夫だといわなければならないのか。
------オリンピックで資材高騰だが、高架事業は優先する-----------
市民生活の根幹を支える事業を先送りにして、やるべき優先順位が高架事業だとするなら、オリンピックで資材高騰でごみ焼却場は作れないが、市民生活に代えられない高架事業は資材高騰でも優先すると言えるだけの妥当な理由が存在するのだろうか。
施策に反映しないという長期試算が、何のための安心材料になるというのか、今回28年度決算を終え、さらに市民生活への課題が明確になっている事への説明責任をまず果たすべきでしょう。
2017.10.07
9月議会の終盤を迎え NO1
9/13から始まった9月議会も28年度決算の審議を終えて、10/16の最終議会に備え、28年度決算に対する討論及び採決を控え、その準備をしている。
28年度決算審議をする中で、多くの疑問や課題がさらに浮かび上がったと私は思っている。その一つ一つは全て市民に関わることでありながら、5日間にわたり審議され、市民の税金が本当に適切に使われたのかどうかは当事者である市民は知る手立てがない。
(本会議場はライブ中継と録画でその状況を知る術はあるが、委員会に於ては中継するようにはいまだ至っていない、傍聴できても一般質問の時とは違って市民の傍聴はほとんどない。)
どんな審議がされ、それらがどうなったのかは、既に28年度において執行されてしまったことなので過去のものだから余計「今さら言ったって・・・」ということにもなり、関心は薄らぐのだろうか。
---------決算審議の重要性と議員の責務-----------
本来は全て市民生活に関わることであり、次世代にもつながっていく施策の評価でもあるわけで、事の重大さを考えると、いくらやってもこれで終わりということにはならない。
限られた時間のなかでその課題を見出し、改善に向けた取り組みと事業等の見直しにつなげていく責務を負っているのが議員の役目である。
しかし、(私の担当は)一般会計の700億円以上の決算審査を3日間で議論しつくすことは難しい。自分の不勉強さは露呈し、昼夜寝ないで取り組んだ施策の課題等が委員会の席上で明確にあぶりだされることは難しいと審査を終えて思う。
問題提起を受けた当局側が真摯に受け止め、その対策や見直し、30年度の予算確保につなげていってくれるのだろうか、その経過や結果を見守っていくのも議員の役目であるのだが・・・
日頃の議員活動のたゆまない探求心と調査力と分析力等の全てが、この決算審査につながり、次年度の予算に反映していくはずで、水面下の交渉は本来あってはならないと思っている。
しかし、しかしである。
正しい情報の下で、透明性を担保した中で行政運営をしていくことが、本来の市民自治だと思っているが、分からないうちに決まってしまっていることが何と多いいのかと思う。
知らないのは未来の風だけだとするなら、それはあってはならないことで、議会として等しく情報は共有すべきであるはずなのだが・・・
今回、余りにも多くの課題が明確になってきたので、どうやって皆さんに報告をしたらいいのだろうかと悩み数日が過ぎ、このままだと悩み続けて報告をしないことにもなりかねないと自らを叱咤し書こうと思う。
2017.08.25
第4回 高架事業認定無効の訴訟
8/24、第4回目の鉄道高架事業の認定無効と貨物駅移転用地にかかわる強制収用の裁決の事前差し止めを求めた訴訟が静岡地裁で開かれる。
原告は貨物駅移転用の地権者と高架事業に関連する土地区画整理の対象となっている富士見町の住民と周辺住民合わせて106人が原告となり国と県を相手に提訴している。
昨日はこちら側の傍聴者は40余名が事の成り行きを見守った。
沼津市が示した準備書面の一つには「沼津市の財政を圧迫する事業」という原告側の主張に対して、
反論すべく沼津市側の被告補助参加人訴訟代理人は沼津市内に法律事務所を構える弁護士3人。
不二綜合法律事務所:
内田文喬弁護士 眞田貴幸弁護士
伊藤法律事務所:
伊藤哲夫弁護士
原告が主張する「財政問題について」これは沼津市の財政に係る事項であるということから被告補助参加人として沼津市の弁護士が反論をする。
沼津市は原告の「財政を圧迫する高架事業である」という主張に対して、
6/1に市長がHP上に公表した「鉄道高架事業の必要性について」に基づく反論であった。http://www.city.numazu.shizuoka.jp/shisei/profile/mayor/kouhyo.htm
1・事業費 2・市債(借金)の活用 3・交付税措置 4・国の経済成長率に基づく財政見通し 5・国、県による事業費の分担 6・B/Cの低下(費用便益比)等が主な内容である。
これらの反論は、今まで私が沼津市の高架事業に対する財政見通しの甘さ、そしてその根拠が仮定に基づくものであり、何ら根拠を持たない想定の中での主張であることを議会で繰り返し指摘してきているものである。
それもあまりにも楽観的な仮定に基づくものであり、これが厳粛な法廷に出された沼津市の準備書面は、余りにも原告、そして市民を愚弄したものであると私は思う。
だから、市民は直感でおかしいと思っている。行政はいつも要望すると「金がない、金がない」と言っているにもかかわらず、「高架化事業は財政が大丈夫」というのは、余りにも合理性がないと感じている。
ごみ焼却場は資材高騰・労務単価の値上げという理由で40年経過した老朽化のごみ焼却場(210億円余)がなぜ建て替えができないのだろう?さらに6,7年先延ばしにするという。
地震をはじめ、災害が大きくなっている昨今の状況を踏まえ、先延ばしにすることがどういう状況をもたらすのか、市民の安全性は確保できるのだろうか、そんな議論さえされていない。
ただ「地震が来ても大丈夫のように日々のメンテナンスに頑張ります」という当局の答弁は信じられないだろうが本当のことである。
富士市は30年経過した焼却場を、「市民の安全には代えられないから」と今年から建て替えが始まっている。
明確なものと想定の上での根拠を区分し、市民に納得のいくように示すべきだろう。
まして新たな財政見通しは出すと言いながら先延ばしになっている。9月議会中に出されてもそれはこの9月議会の議論には間に合わないではないか。正々堂々と議論がしやすいように事前に出すべきであり、都合のいい、悪いで判断しているようにみえる情報の出し方は、市民に不信感をもたらすことにつながっていると思わないのだろうか。
裁判が終わった後に原告側の海渡雄一弁護士・花垣存彦弁護士が、今回の裁判のポイントを原告者と傍聴者に説明をする。
県の準備書面に対し求釈明があった。
原告の主張:1つには県が示した交通量調査のデータが10年以上前のデータであること。その後2回、3回と調査を行っているのであるから3回目のデータを出してほしいというこちら側の主張に対して、
→県の説明:3回目の最新はデータは、作業中であるので出せない 平成30年には出せるという。
最近の行政訴訟では都合の悪いデータでも公表するようになっているが、作業中であるとしてデーターを出さないことは、都合が悪いデータを隠すと言う姿勢を感じてしまう。
原告の主張:最終のデータでなくても途中経過のデータでいいから出してほしい、トレンド(経年変化)がわかるからというこちらの主張に対して
裁判長から:県に対して「裁判所としても見たい」との発言があり、県は書面で回答すると答えた
このように裁判長が県に対して誠実に回答するようにと言うことは、当然のことであるが、今までのなかでも一歩踏み込んだものではなかったのかと思う。
いずれにしてもこれから、第5回、6回と訴訟は続く。
住民全てが納得する解決策として残された最後の選択肢として、住民投票かもしれない。一度は議会で否決されている住民投票条例の制定であるが、沼津市の将来を握る最重要施策として掲げている高架事業である。議会でも議決をしているのだから、すべての事業をなげうってでもやればいいと言う人もいる。でもできない理由は何故なのか。
もう一度、将来世代につながる事業かどうか、冷静に考える時期だと思う。今最大の問題は人口減少とバブル期にたてられた公共施設や社会インフラが30年~40年経過し、老朽化が始まっている。その想定額は1500億円にも挙がるという膨大なものである。
本当に市民が安心して暮らせるまちづくりを考えたとき、そして将来世代につながる沼津市のあるべき姿が高架事業なのだろうか?それは手段だとするにはあまりにも財政的な犠牲が大きすぎる。
この町の存亡をかけなければできない事業である。前市長は本会議場でいみじくも、「すべての事業を犠牲にしても・・・」といったことは本当の事である。昨年、市長選に敗れた時も、「高架事業があったから華やかな事業ができなかった・・・」と言った事も本当のことである。
しかし、まだ事業は始まっていないにもかかわらず、すでにその財政負担が他の事業を圧迫している状況であったからである。
とても軽々しく財政が大丈夫だという現市長の主張は197,747人のすべての住民に対して言うべきことではないと思う。
どうしてもやらなければならないというなら、正々堂々と何を我慢しなければならないのか、いつまで我慢をしなければならないのか、それでも必要だということを良いことも悪いこともすべてオープンにして、そのうえで、正々堂々と市民の判断を仰げばいい。しかし、その判断をする充分な資料は出されていない。
議会は多数決で議決されているこの事業である。後は司法の判断というよりは市民に正しい情報を開示して、一緒にこの事業を進めていくのか、それとも立ち止まって改めて見直してみようとするのか、この事業の課題をないがしろにして、他の事業を進めることができない最重要施策であるということを改めて考えてほしい。
そして、地権者の方々の長年の闘いに、沼津市の停滞の原因は反対する地権者と議員だという短絡的な主張は、少なくても当事者の人たちの日々の生活をないがしろにしているということを考えたことがあるだろう。その犠牲の上でこの事業を成り立たせようとしているということを想像したことがあるのだろうか。それでも多数決で決まったことだからというのだろうか。
少数者の尊厳が重んじられ、色々の意見がもっと尊重され、情報や過程をすべて透明化した中で議論のできる市民自治を目指していきたい。