山下ふみこオフィシャルブログ

沼津市

2023.11.13

市が市議を訴える@TVで⑧

11/13の記者会見の様子が、夕方のテレビで放映されました。

とびっきり静岡」でお馴染みのコメンテーターの八代国際弁護士はこんな風にコメントしていました。

アナウンサ
「山下市議側(代理人弁護士を通じて)は和解をしたいとその協議を申し入れたという事です。」

八代弁護士
「裁判をするとなると市の税金を投入することになるので、山下市議の提案は大人の提案だなと、検討に値するのではないかと思います」

2023.11.13

市が市議を訴える@記者会見➆

11/13(月)10:00に不服審査請求書を提出し、11:00から、本件土地問題で記者会見を行いました。

内容

1 沼津市の一連の情報開示が不十分で不当であることの不服申し立て(審査請求)を本日13日に行ったこと。

2 山下氏の代理人となった河村弁護士が沼津市代理人の弁護士にFAXで、訴訟するまでもなく話し合いで解決することの申し入れを行ったこと。

 

出席は市民団体の「地方自治に民主主義を求める会」の岩崎代表、沓沢事務局長、事務局の吉田さんほかです。マスコミはテレビカメラ含む11社から参加しました。

質疑、やり取りの要点

Q1:土地の所有の主張は対立して1年ちかい。司法の場で白黒つけるのがわかりやすいが、今さら協議か?

A:私有地の中に官地があった場合、税金を使って訴訟にする問題か、一般的にそのようにはしない。話し合いで解決するのがスジ。今からでも遅くないので協議をし、解決するべき。市民感情としても、多額の税金と時間をかける前例を作ってほしくない。市や議会はほかに市民生活のためにやるべきことがあり、それをやるべき。

Q2:弁護士から協議を申し入れて、市側の回答は?

A:いまのところ正式な市側の回答はない。電話では、こちらの申し入れに市側代理人は内容を市に報告する、協議するにあたっても市の所有地であることが出発点とのことで隔たりが大きいと認識。こちらは協議し、和解解決を求めていくことに変わりはない。

Q3:情報開示で何が出くればよいのか?

A:問題の2筆の土地をめぐってのお金の動きがわかるもの。収用証明書が作成されているはずで、それで土地の帰属はわかる。それが出されなければならない。保管していないということは、他の土地買収の例を見てもありえない。市がもっているはず。

 「地方自治に民主主義を求める会」の方々から口々に:

私有地の中に官地が含まれる例は、市当局も全数を把握しておらず、いつ、どこで、誰が巻き込まれ、不法だと訴えられるか判らない状況だ。市の土地管理の在り方が問題。市民の財産権、民主主義の問題。訴訟と言うケンカ腰ではなく、話し合いでの正しい解決をと訴えました。

 マスコミから最後に:

今後、協議申し入れに対する市側の回答、また、11月中に市は提訴するというので提訴されたときの見解と対応を会見で説明してほしい。このような要望が出され、了解しましたと答え、終わりました。

2023.11.11

市が市議を訴える@沼津 その6 元々だれの土地?

「元々の土地は沼津市」と言われているようなので改めて説明をする。

沼津市歴史民俗資料館の資料によると黒瀬橋はもともと木造橋であった。
昭和33年(1958年)狩野川台風で流出し、昭和37年に鉄筋コンクリート橋として建設された。
平成5年(1993年)自転車・歩行者専用の橋が架けられた。

この2度にわたる橋の建設によって120坪からの土地を植松(父)は沼津市に売却することになった。

2回目の時は64坪の土地を売却するにわたり、同じ64坪の土地を代替え地として払下げる約束(確約書)をした。植松の土地になるはずだった問題の土地2筆が登記がされていなかった。

当時は2筆(1556-1,1556-2)の土地が2回の橋の建設により20筆にも刻まれてしまっている。
木橋は、たびたびの洪水により流出し、そのたびに復旧されてきたという。
そして、昭和33年の狩野川台風で木橋の流出によって鉄筋コンクリート橋が建設された。
当時の住民にとって待望の橋だった事が想像できる。

まだ木橋の頃は家の前は道路であった。
それが昭和37年に今の黒瀬橋が出来たことによって、橋が高架橋になり植松の家はその高架橋の下になってしまった。

S26植松の公図
山下敷地公図S色分け+元敷地 (1)
戦前の町並み

2023.11.11

市が市議を訴える@沼津 その5 元々だれの土地?

市議が市民への説明に、もともとは沼津市の土地を山下が「私のもの」と言っている。これは山下が悪質で自分のものではないそもそもの沼津市の土地を私の土地と言っているという。
何故、基本的なことが曲解されてしまったのかと調べてみると、その一つに静岡新聞の記事に同じようなことが書かれている。

当時、その記事に抗議をしようと思ったが、当時のマスメディアの報道は私に対する酷い報道がされていたのでそのままにしていた。しかし、今でも市民はそういう理解をされる方もいるのでこの件については訂正をしたい。
まずは、「私のもの」というそもそもの土地は誰のものか?

8/15静岡新聞□元々の沼津市の土地 → 元々は植松家の土地です!

静岡新聞の土地2
静岡新聞の土地1

8/15静岡新聞□元々の沼津市の土地 → 元々は植松家の土地です!

静岡新聞の土地1
山下敷地公図S色分け+元敷地 (1)

戦災前の町並みが資料として残されている。 当時、植松は「沼津倶楽部」といわれ乗馬クラブをしていた。

戦前の町並み
馬や写真0001

2023.11.01

市が市議を訴える@沼津 その3

私のこれまでの説明が分かりにくいという。そこで改めてその経緯と今回の問題について日高市議の田中さんの説明を了解を得てアップします。

沼津市議会議員の山下ふみこさんが沼津市から訴えられようとしています。
亡くなられたお父様が、30年前に市の公共工事に協力して提供した土地の代替地として取得したはずの土地が、現時点で登記上は市のものになっている。
だからその間、貸駐車場として得た利益数百万円を返還しろというのです。
その土地は、山下さんの土地を通らなければ入れず、市は何十年も管理してこなかったのに、T議員に届いた一通の匿名の告発(手紙)で裁判まで起こそうというのです。
私は、こういう問題が我が日高市でも起こりうるのか、管財課に確認しました。
答は「まずありえない!」
確かに民地の中に官地がある場合はあるが、ほとんどが昭和の頃のやり取りによるもので、発覚はたいてい相続の時。   
市としてはもちろん話し合いと根気強い交渉による解決をめざし、市民を相手に裁判を起こすなどありえないということでした。
山下さんのお父様も、よもやご自分の市への厚意が娘を窮地に追い込もうとは思いもよらなかったでしょう。

私有地立入のお願い文書120230721

1556-19,1556-20が問題の土地です。

「この土地の貸し駐車場代10年間分と延滞金を含めて返せ、不当利得だ!」と言われています。この駐車場は袋地になっているので、そこに行くには、私の土地を通らなければなりません。

この件について頂いた意見をアップします。
Aさん: 山下さんの土地を囲繞地=袋地を囲っている土地
登記上はまだ市の土地を袋地というのですが、取得した市の袋地を駐車場にしていたとのことですが、囲繞地側の権利として通行料金を請求できるので、駐車料金は市の収入だとして全額市へ返却との主張に対しては、囲繞地側の権利で通行料金を請求すると主張して、結果的に話し合いで解決できるはずです。
その辺をご存じない方が、ただただ訴えることを目的にしているのが見え見えと思います。
また、登記の目的は、第三者に対して権利の主張をすることが主な目的なので、譲った側が訴えるのは、法律的にもオカシイです。
Bさん:山下さんは弁護士にすでに相談されていますが、市の弁護士はどういう判断をしているのでしょう。Aさんの仰るとおりだと思いますし、時効取得もありえます。どう考えても提訴はおかしいです。

Cさん:何か意図的なものを感じます。市と一部の議会多数派との連携による意図とした行動なのかも~と。
形は変わっていても意図的ないじめかも~と思ってしまいます
  ↓ 市有地と登記上なっているところが 山下さんの土地を囲繞地=袋地を囲っている土地                          

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