山下ふみこオフィシャルブログ

2015.09.05

高尾山古墳と道路両立の協議会

今やっと古墳保存と道路の両立に向けて話し合いが始まった。その第1回目の協議会が9/3。
この協議会自体に法的拘束力はないが、最終的な市長判断に影響を及ぼすことは間違いがない。
この協議会の行方を見守るために、多くの市民、考古学者、県内外の方が傍聴に来る。会場に入りきれない方々は別室でモニターでの参加で、100人余からの方がこの協議会の行方を見守る。(画像はクリック)

6/30、6月議会の最終日に、道路のために古墳を削り取りながら調査をしてくと文化財予算が、他の一般会計予算と一緒になって可決された。しかし、市長は予算執行を留保し、今回の学識経験者の協議会で検討することとした。

協議会の資料の資料に「今後の検討方針について」当初、道路構造令上、道路との両立は不可能とされれてきた道路設計について、新たな設計条件を幅広く設定した。
当初の設計速度60km/hが40km/hにまで範囲が広がり、車線数も4車線から2車線までになったりと、多くの不可能とされている条件に、様々な柔軟性を示したものに代わってきている。

いったん行政で決まったものが、こうして改めて、有識者を交えて議論されるという事例は数少ないと思う。

しかし、新国立競技場の白紙撤回等の昨今の状況を見ると、今まで行政判断の下でやってきたことの弊害が、社会や経済状況の変化と共に、変わってきているのではないかと思うし、また変わっていかなければならないと考える。まずは決定プロセスを公表し、その中でどうあるべきか、市民や第三者機関と共に進めていくことが大切だと認識して欲しい。
特に文化財の保護についても、今までの経済成長優先の御旗のもとに、多くの文化遺産が失われてきた事実がある。
その現状を回避するために、平成19年に「文化財保護法」ができた。
この法律の目的は
第一条  この法律は、文化財を保存し、且つ、その活用を図り、もつて国民の文化的向上に資するとともに、世界文化の進歩に貢献することを目的とする。
次回は11月頃の協議会に注目をしながら、引き続き署名活動や学習会を行っていきたいと思う。

2015.09.01

ストップ!鉄道高架市民集会

8/29(日)原の桃里公民館前で高架事業に反対する人や地権者、そして富士見町の方々等多くの市民が結集をした。(画像はクリック→拡大)

いろいろの立場の方々が、スピーチをした。小学生の子は市長へのお願いとして、「私たちに、借金を背負わせないでください・・」と。小さな子を連れた母親は、「自然環境豊かなこの地域に、無駄な高架事業より、もっと人が住みやすい施策を・・・」と。

今回の集会に参加して、改めて、次世代に責任あるまちづくりを繋いでいくには、健全な財政運営のもと、住民にとって本当に安心して暮らせる住みやすいまちづくりだと考えます。
改めて、議会の果たす責任は大きいと感じています。

2015.08.30

駿河國誕生と高尾山古墳by赤塚次郎

8/30市民文化センターにおいて、高尾山古墳の学習会第2弾、「NPO法人古代邇波の里・文化遺産ネットワーク理事長 赤塚次郎氏」の古墳を活用したまちづくりを市民と行うためにはどうすべきか、既に愛知県犬山市にある青塚古墳を歴史憩いのスポットにした仕掛け人でもある赤塚先生のわくわくドキドキしたステキなお話を伺うことができた。

私たちの祖先、ルーツでもある高尾山古墳の王とはどんな人だったのか。
スルガの国の王の墓と言われている東日本最大最古級の高尾山古墳の謎は、考古学的見地からは築造年代等は解明されたとはいえ、愛鷹山麓に広がる古代スルガの地に、新しいリーダーの登場には、いったいどんなストーリーが秘められているのか。
その王が何を考え、何をこの地で成し得たのか、
赤塚先生の本当にわくわくするスルガ國の物語の始まりであった。

美しい愛鷹の森と駿河湾の海に挟まれた空間に、無限の可能性と未来への希望を夢見たリーダーの登場に、当時の地域社会においては革新的なものであっただろうという。

浮島沼と言う低地・沼の環境に住む民と標高100mの山麓(足高尾上遺跡群)に住む民、そして高尾山古墳が築造された木瀬川・狩野川低地部に住む人々と海の民。弥生後期社会から継続する海辺・低地部に集住する浜の民と標高100mに住む山の民、この二つの大きな部族集団が、何らかの理由で「駿河」の地に集まり、高尾山の王を支えていた。
まさに彼らは、高尾山の王に憧れて集まってきたかもしれない。この地に育つ優れた素材がここに集まってくる。海を越え、山を越えて異国のものが往来する場面が出来上がったのだと。多くの技術集団が集まり、広域ネットワークを展開していったのではないか。

同時に大規模な古墳造営と言うイベントが民や富の動員を可能にしていった。やがて、その領域が「スルガ」と呼ばれることになっていく。

スルガという國の歴史は、まさに高尾山古墳の築造を契機として、その機運の中から創出され、伊豆半島から愛鷹山麓を抱え込むこの場面から出発したといえるだろう。だからこそ、この王墓を なくすことは、スルガの国のはじまりをなくすことにもつながる。

最後に、赤塚先生は文化遺産学からの視点として、
この古墳の存続を願うには、古墳の評価だけでは、その文化遺産を護り、継承する道筋は見えてこないという。どちらが良いかといった二項対立的な視点からは何も見えてこないと。
史跡や文化財からの視点ではなく、「文化遺産」として、国や県・市等の枠組みだけのものではない活用の可能性を探っていく。それには地域に残る物語や歴史の舞台を認識し、私たち市民が具体的なその場の歴史を造っていくことが先決だという。

沼津市民はその認識をさらに深め、 地域社会の文化遺産が目に見えるまちづくりをしてほしいと提言された。文化遺産を継承していくまちづくりは、住民にとって、不便なことがたくさんある。しかし、それがひいては、どのまちにもない沼津ならではの地域再生へ繋がっていくと。
高尾山古墳はその可能性を十分秘めているからこそ、全国の多くの方々から関心を持って下さっているのだと改めて感じている。

高尾山古墳が今まで地域の熊野神社と穂見神社に守られ続け、その存在さえ忘れ去られてきたわけだが、神社の移転と共に、今再び、その存在が蘇ったわけである。
赤塚先生のいう「平成の世に再び蘇る。その意味するところはやはり、環境変動の兆しがみられる今日的な地域再生への警鐘かもしれない」と。

二度とありえないその歴史的な遭遇を、このまちの再生のために、覚悟を持って受け止めていかなければならないと思う次第です。

カレンダー

«9月»
日 月 火 水 木 金 土
  1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30    

ブログ内検索

フィード